今、目の前に一皿の料理があったといたしましょう。
この一皿の中に、先味もあれば、
中味、後味も閉じ込められている。

日本の料理の典型的な味わい方を考えてみましょう。

食卓にうつくしいお皿がやってきます。
当然、目でまず味わいます。
料理の姿、色合いに艶。
料理の並び方であったり、量感だったり。
見る対象は料理に限らず
食器のうつくしさも含まれるのが日本料理の大きな特徴。

日本料理は器を味わう料理なんだと、
言われるコトもあるほどに器の種類は多種多様。
レストランの厨房の食器を収納しておく棚。
その面積が日本料理はその他の料理のお店の
倍以上も必要だと言われることがあるほどに、
器の種類は豊富。
西洋料理の器のほとんどが丸くて平たい、
いわゆる「皿」と呼ばれるもので
大きさや色や模様が変わる程度のバリエーション。
中国料理もアジアの料理も、基本的にはお皿は丸い。
ところが日本の器ときたら、
四角かったり木の葉の形をしていたり、
深いものがあったり背の高いものがあったりと、
姿自体がまるで異なる。
目が奪われて当然でしょう。






日本独特の食事の作法のひとつに
「食器を持ち上げて食べる」というものがありますよね。
手で器を持ち上げる。
これも立派な先味です。
手に伝わってくる温かさ、あるいは冷たさ。
重さに、器のてざわり、なめらかさ。
当然、手に取り器を持ち上げるコトで、
料理と目との距離は近づき、
そのうつくしさを目で味わうのに好都合。
しかもおだやかな日本の料理の香りがゆっくり、
鼻に近づいてくるのにワクワクします。

おじぃちゃんのお店には、
汁を入れて提供するための器が全部で3つあった。
2つは塗りの木のお椀。
ひとつは陶器の丼で、お椀の違いはその厚み。
木のお椀のひとつは薄くて
驚くほどに軽くて蓋がついていた。
もうひとつは手にするところが分厚くできてて、
蓋のついていないもの。
どう使い分けているのと聞いた、答えは明快。

木でできたお椀は熱を伝えにくい。
だからすぐに飲んでもらいたいお汁は木のお椀。
出汁のうま味を堪能していただきたい、
おすましのような汁は薄いお椀で蓋をして出す。
蓋をとろうと手にしたお椀が、ほんのり温かく感じれば、
それをすぐに飲みたくなるもの。
日本料理店の命でもある、
出汁の繊細な風味の真価を純真無垢な舌で味わい、
評価してもらうためにと言う工夫。
具材をタップリ使った豚汁や三平汁のような汁。
熱々であることがおいしいこれらの汁は、
フウフウしながら食べるとおいしい。
だから分厚い木の椀で、蓋せずそのまま。
湯気が大量にお椀の上に漂っている、
それを見ればスゴく熱いことが一目瞭然。
けれど手にしてほんのり温か。
安心をしてすぐにどうぞ、
召し上がれというメッセージにもなるのですね。

料理の内容によっては、
汁をなるべく後に飲んでほしいようなコトがある。
そんなときには熱々にした汁を陶器の器にいれる。
飲もうと手にすると熱くて持てない。
まだ飲まないでというメッセージを
器の温度が出してくれて、だから結果、後回し。
中の汁が冷めてほどよき温度になる、
その頃合いでやっと手に取り、コクリとひと口。
おじぃちゃんくらいになったらな、
このお客さんは早食いだろうから、
ちょっと早めに食べごろになるよう
温度を加減しようか‥‥、
なんてコトが自由自在にできるんだって、
自慢をしていた。
器を手に取る日本料理ならではの、
こうしたもてなしもあるのですね。

つまり左様に日本の料理の先味は、
ほぼ「目と手」で味わうようにできてる。






そしてとうとう、
「料理を味わう」という中味部分がやってきます。
当然、料理を味わう主な器官は舌です。
味を認識するためのありとあらゆるセンサーが
集中している舌で味わう‥‥、これは世界共通のコト。
‥‥、なのだけれど、
またまた日本人は独特のセンサーを
唇において発揮するのです。

日本におけるグッドマナーが、
世界におけるバッドマナーになってしまう
「ズルズル、音を立ててすする」という食べ方。
箸を使って‥‥。
器を持ち上げ‥‥。
そして一気にすすりこむ。
蕎麦にうどん、そして中国からやってきて
独自の発展を日本で遂げたラーメンだって、
まず唇を分け入って撫で回す。
世界最高峰の麺の文化は、
舌ではなくて唇が作り上げたと言っても
決して過言じゃない。

パスタは音を立てて食べてはいけないって、
よく言われます。
ズルズルという音を不快に感じる
そうした生活習慣を抜きにしても、
たしかにパスタを音を立てて食べると
いろんな厄介なことが起こります。
器を持ち上げること無くフォークで巻きとって、
それでズルズルしたら当然、
ソースや油がまわりに飛び散り、
悲惨なコトになってしまいます。
それになにより、ソースが唇を通り抜けるとき
そのほとんどが拭い取られて口の中へと入ってこない。
コッテリとしたカルボナーラを
ズルズルすすり込んだりすること。
それはすなわち、ソースをこそげとって
麺だけ食べてるようなコトになっちゃうんです。
イタリア人の唇は料理を味わうように
できてるわけじゃない。
彼らの唇は、愛をささやき
キスするためにあるんだろうと、ボクは思ってる。
パスタをすすらず食べるのは、
マナー違反やおしゃれじゃないからって訳じゃなくって、
そんなコトをしたらおいしくないからなんだというコト。

日本の麺はそうじゃない。
すすっておいしいようにできてて、
しかも繊細で仄かな蕎麦の香りであったり、
ツユの風味が唇のところで空気と出会い、
香りを一気に花開かせる。
噛まずにヌルンとなめらかな喉越し感を味わう
讃岐のうどんであったり、
バサバサ前歯で歯切れて口に散らかる
蕎麦の食感だったり、日本の料理は
口のすみずみを使ってたのしむ料理でもある。

ほら、こうして書いてるうちに、
ボクの文章は擬音でたのしく満たされていく。
ところで香りは?
日本料理の香りの話。
次回、本格的にといたしましょう。




2012-08-09-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN