ところでレストランで
香水の匂いをただよわせるというコト。
バッドマナーだと言われることがよくあります。
特に日本では、お店の人にもお客様にも嫌われることが
よくあるようです。

日本のお料理は香りが繊細。
しかも、口の中で香ることがほとんどで、
料理以外の香りを嫌うから。
焼肉の店とか焼鳥の店とか、
お店を入った途端に
料理の匂いが襲ってくるお店もありはするけれど、
たいていの日本料理は
「どんな香りが口の中に広がるんだろう」
と、ひたすら心待ちする。
だからお店の中はなるべく香りがせぬように。
小さなお店が多いというコトもあるのでしょう。
隣の人。
別のお客様との距離が近くて、
互いの香りが交じり合い邪魔しあったりすることがある。
だから香水のような強い匂いは控えましょう‥‥、
と、暗黙のルールのようなものが
できたのかもしれないですネ。

ただ、女性にとって香りはお洒落の一部でもある。
例えばニューヨークで仲良くしていたエマなんて、
香水をつけないで表に出るなんて、
下着をつけずに歩いているのと同じくらいに
不安な気持ちになってしまう。
自分の匂いがしないのって寂しいのヨ‥‥、って。
だから香水をつけずにいたことが確かになかった。
しかも、その香水の使い方が素晴らしくって、
一度足りとも彼女の香りが
邪魔だと思ったコトがなかった。
例えそこがレストランであっても、
料理の香りを損なうこと無く、
ときにその香り故に凡庸な食事を
ドラマティックな思い出に変えてくれたりするのです。




とあるレストランにどうしてもいかなくちゃいけない
ハメになったときのコト。

有名なイタリア料理のレストラン。
重厚なインテリアと、
けれどそのインテリアのディテールを
見分けるほどができないほどに
暗くてムードのある雰囲気がまず有名。
なにしろ、メニューを手渡されても
テーブルの上のろうそくだけでは
小さな文字を見分けるコトがむつかしく、
なんとウェイターがペンライトをもって
文字を照らしてくれる。
それほど暗い。
料理の提供時間が絶望的に遅くて、
倦怠期の恋人が間違って訪れたなら、
確実に別れることができるというのでもまた有名。
メインディッシュのTボーンステーキは、
この世のモノと思えぬおいしさ。
けれどそのメインディッシュに
たどり着くまでの待ち時間を、
たのしくさせるはずの前菜料理はどれも凡庸。
丁寧にして優雅なサービスをしてくれる従業員は、
なぜだかみんなクイーンズイングリッシュ的なる
アクセントで話しかけてくれるという、
こんな不思議なお店はたしかに
ニューヨークにしかないだろうと地元の人はみんないう。
なのになぜだか、予約がとても取りづらく、
理由はニューヨークにやってくる人たちが
ニューヨークに行ったらぜひ、
そこに行きたいと思って殺到するから。

そのときも、父からいきなり電話があって、
友人がニューヨークにいくから
そこに予約をとってはくれないか‥‥、と。
あんまりパッとしない店だよ。
もっとステキな店がたくさんココにはあるから、
出来れば他の店を薦めてくれないかなぁ‥‥。
そういうボクに、
「ニューヨークなら絶対そこがいいって
 オレがすすめたんだよ」と。
電話の向こうの憮然とした父の表情が
見えるかのような不機嫌声でそう言われ、
それならどうにもしょうがない。
日にちと時間と人数を聞き、
十分、時間に余裕があって、
それで首尾よく4人テーブルの予約がとれた。
すっかりそれでボクはそのことを忘れてた。

それからしばらくしたある日。
電話が一本、かかってきます。
受話器からは母の声。

あなた私のお友達のご夫妻のコト、知ってるわよね。
今度はあなたにお世話になった‥‥、
って喜んでらっしゃったわよ。
なかなか予約がとれないレストランを紹介してくれて、
しかも予約までとってくれたって。
シンイチロウさんがすすめるお店だから、
さぞかしステキでたのしいお店なんでしょうネ‥‥、
できればエスコートしてくださらないかしらって
おっしゃっているの。
4人分の予約だからお友達もお連れになれば‥‥、
って言ってるんだけど、あなたどうする?




どうするも何も、いつの間にか、
ボクが薦めたコトになっていて、
しかもやってくるのが父ではなくて母の友人。
こんなコトなら体をはって、
別のお店に予約をとるんだったのに。
後悔してもしょうがない。
たのしい会話で料理と料理の間をなんとかしのいで、
ワインの力を借りればなんとかなるだろう‥‥、
と思っていたら、母がいう。

ところでお二人は、お酒をお飲みにならないから、
あなたもその日は我慢するのよ‥‥、って。

絶望的な気持ちになって、それでまずはこの難局を
一緒に乗り切ってくれる仲間を探すことにする。
さいわい英語に堪能なお二人で、
それでエマに相談をする。

それは大変な課題をしょいこんじゃったわねぇ‥‥。
でも。
任せておきなさい。
あなた、私と友達だってよかった‥‥、
って感謝することになると思うわ。
そしてその日がやってくる。
ホテルまでエマと2人で出迎えにゆく。
珍しいコトに香りをまとっていないエマ。
長身のご主人と、
コロコロ転がるような声が笑顔に似合った奥様。
ほどよきお洒落を着こなして、
目的の店のウェインティングルームの
大げさな王朝趣味のソファにも負けぬ瀟洒な雰囲気。
ソファの横には暖炉であります。
パチパチはぜる燃える薪が、
むせるような森の香りを
レストランの前室一杯に漂わせている。

「なんだかこの薪の上にお肉をのせて
 食べたくなるわネ‥‥、
 お腹が空いてくるような素敵な匂い!」

このお店は炭で焼き上げた
Tボーンステーキで有名ですのよ。
それ以外のお料理は、あまりオススメできませんけど、
この森の香りに包まれてこんがり焼けたお肉のコトを
頭に思い浮かべていれば、
2時間なんてあっという間のコトですわ!

エマはあっさり、ネタばらし。

「あら、2時間も‥‥、そんなにタップリ、
 おしゃべりを楽しむコトができますのね」。

それにしてもボクたちの周りで
テーブルに案内されるのをまっているご婦人方。
その何人かが奔放なほどに
香りのお洒落をたのしんでいる。
香水はレストランでは無作法じゃございませんこと?
という奥様に、エマはいいます。

確かにこのウェイティングルームは人口密度が高くて、
しかも暖炉があるから部屋の温度が少々高い。
香りが華やかに立ち上り気になったりするかもしれない。
けれどココのダイニングルームは、
隣合うテーブルの間隔がユッタリしていて、
香り同士が喧嘩したりすることがない。
私も実はオキニイリの香水を
もってきているのですけれど、
失礼でなければ使ってみたいのですけれど‥‥。
ハンドバッグの中から小さなガラスの瓶を取り出す。
奥様の目がニコリと輝く。
さて、来週‥‥、香りのマジック、はじまります。


2012-09-20-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN