レストランは料理を味わうためだけの場所ではない。
レストランは料理を「たのしむ」場所なのです。
そのたのしみの中には、
「料理」「サービス」「環境」という
3つの要素が含まれていて、
それらすべてをすばらしい状態に整えるコトが
レストランで働いている人たちの仕事でもある。
けれど、料理を食べる人がいなくては
どんなにおいしい料理を作っても仕方ない。
サービスを受けてくれるお客様がいなくては、
サービスのしようがないのと同じように、
お客様がいないお店を
どんなにキレイに飾り立てても、しょうがない。

建築家や有名なデザイナーが作ったかっこいい店。
開店前の状態で写真をとってうつくしく、
キレイに見えるお店は不思議と居心地悪く、
「いいレストラン」と呼ばれることが少ないのです。
お客様の笑顔以上によきインテリアはなし。
そこで食事をする人たちが快適で、
たのしく気持ちがよく感じることができて
はじめてよいレストランと呼ばれるのです。




ステキなお店がよりステキになるように。
そのお店にふさわしい装いをして、
レストランに華を添える。
ゴージャスなシャンデリアが
天井からぶら下がっているような
キラキラしたお店だったら、
アクセサリーもタップリと、
おもいっきりのおしゃれをして。
友人の家の居心地よいリビングルームのような
雰囲気のお店だったら、
明るい色のカシミアのカーディガンなんかを羽織って。
レストランのインテリアと互いがひきたてあうような
ベストマッチができたときには、
気持ちがスッと明るくなったような気がする。
お店の人にもその気遣いは伝わって、
よいサービスを受けることができたりもする。

だからレストランにはじめていくとき。
どんな装いをしていけばいいでしょうか?
とさり気なく聞く。
「ご婦人はイブニングドレスを、
 殿方はシルクハットをお召いただき‥‥」
とかってもし言われたら、
かなりドッキリいたしますけど、
「くつろいだ装いで結構ですよ」とか、
「おしゃれをされていらっしゃる方がおおございます」
とかって、ヒントをもらえるコトもある。

自分が何度か行ったことがあるお店に誰かをさそうとき。
そしてその人にとって、
そのお店を訪れる最初のチャンスだったりするとき。
そっとひとこと。
「あそこのお店は
 ちょっと気合をいれなくちゃいけないんだよ‥‥、
 だからボクはひさしぶりに
 ネクタイしめようかって思ってるんだ」とか。
「今度のお店にいくと、
 まるで友達の家にお呼ばれしたみたいな
 気持ちになるんだよ‥‥、
 だからこの前買った新しいセーターの
 お披露目の場所にしようかって思ってる」とか。
相手が着ていくものをイメージできるような
ヒントを言ってあげるとみんなが、シアワセになる。

そしてその装いの一部に「香り」があるんだってコトを
ボクは、そのときエマから教わった。

彼女曰く。
テーブルとテーブルの間隔がユッタリしている。
あるいは個室。
つまりプライベートな空間に限りなく近い場所で
食事をたのしめるレストランであれば
香りをたのしむ自由がそこにはあるのね。
特に暗いところにいると、香りに対する感度が高まる。
だから料理の香りと香りの間に、
その場にふさわしい香りを挟んでみんなでたのしむ。
そんな贅沢が許されるのよ‥‥、と。

そしてその日がそんな日でした。




暖炉の前でエマが取り出したガラスのコフレ。
プシュッ、プシュッと耳の後ろに
ご婦人方は香りをほどこし、
そして案内されるがままに
ダイニングルームに向かっていきます。
店の中は徐々に暗さをましていく。
「ディズニーランドの
 ホーンテッド・マンションみたいねぇ‥‥」
と無邪気によろこびながらクスクス笑う奥様が、
ふと、こう言います。

あら、この香水、随分甘い匂いがするのね‥‥、と。

確かに肌の温度で閉じ込められていた香りが
勢い良く立ち上がってきたのでしょう。
薔薇の花束にレモンの果実を一束にして作ったブーケを
両手に抱えて歩いているような、
そんな香りが漂っている。
ボクらをテーブルにいざなう案内係の紳士が、
思わずご婦人方をふりかえり、ニコリとします。
目的とするテーブルに続く通路が、
薔薇の小道になったかのような香りのパレード。
ボクらのあとに、香りのざわめきが残って
会話の花をさかせているんじゃないかしら‥‥、
って思ってしまうほどに
ステキな香りとともにボクらはテーブルにつく。

この香り、強すぎはしないかしら?

心配する奥様。
エマはいいます。
薔薇の香りはまもなく静かに収まりますわ。
この香水、クルクル香りの印象が
かわっていくんです‥‥、
それがたのしくって最近、オキニイリですの。
そしてメニューがてわたされ、読めないわねぇ‥‥、
というボクたちの後ろにたったウェイターが
小さなライトで一行一行、
メニューの文字を照らしながら
料理の内容を説明していく。
その大仰で滑稽なさまに、
みんなプププと笑いをこらえ、
神妙な顔してそれを聞いている。
と‥‥。
奥様の後ろにたった給仕長が、
「ところで本日の前菜の、
 カリフォルニアングリーンの
 シトラスドレッシングサラダは
 マダムの香りにピッタリの
 さわやかなお料理であろうかと存じますが‥‥」と。
そう言ったあと、申し訳ない、あまりにステキな香りが
今、ワタクシの鼻をくすぐったもので
ございますゆえ‥‥、と、恐縮しながら頭を下げる。

たしかに薔薇の甘い香りがどこかに消えて、
ボクらのテーブルは柑橘系のさわやかな香りで
やさしくつつまれている。
なんだかお腹がすいてくるわね‥‥、
なんて言いながらメニューを注文し終えて
食事が始まる頃には今度は香りが緑になってく。
これは牧場の香りだね。
いえいえ、キュウリの匂いがしてくる。
そういえば春先にロンドンに行って目覚めると、
朝露に濡れた芝生がこんな匂いをただよさせるの‥‥、
あぁ、キューカンバーサンドイッチが
食べたくなるわ‥‥って。
会話が次々、盛り上がる。




ワインをいかがいたしましょう‥‥、
とやってきたソムリエに、
ごめんなさい、
今日は香水の香りをたのしむ集いにしましょうって
みんなで今、決めましたの。
代わりにミネラルウォーターをいただきましょう。
今日の料理にあうお水を、
いくつかオススメいただけたらば
そこに香水の香りをのせて
ワインがわりにたのしむことといたしましょ。
「仰せのとおり」と、
柔らかい水、硬い水、そしてガス水と
さまざまな水を次々グラスに注いでもらって、
ワインを飲めぬ食卓だとは思えぬほどに水を語って、
香りをたのしむ。
ほら、今、緑の香りに土の匂いが混じったよね。
夏から秋に変わったかんじ‥‥?
ご婦人方は10分置きに耳の後ろを指でこすって、
パートナーの男性の鼻にそっと近づけ
一緒に香りをたのしみ評する。
ワインのたのしみの大切な一部分に、
香りを味わい、みんなで香りの印象を語り合って
時間をつぶすというコトがあって、
その日はワインの代わりに香水の香りを使った。
ワインと香水の香りがまじりあうのを語る‥‥、って、
そんな楽しみ方も本当はあるんだろうなぁって
思いもしながらあっという間に時間がすぎる。
前菜を終え、マッシュルームのリゾットを食べ、
お店に入って2時間ほどもたった頃でしょうか。
なんかスパイシーな重たい匂いが
向こうの方からやってきたような気がするわ‥‥。

薪の香りネ。
暖炉の匂い。
そろそろメインがやってくるのじゃないかしら‥‥。
うやうやしくも厨房の方から大きなワゴンが
近づきやってきて、
そこに置かれた大きな銀の覆いをとると
中に立派なTボーン。
炭の香りが強烈にそこから漂い、
ボクらのテーブルの重たい香りと混じりあう。
どちらかの匂いだけでは感じることができない
魅惑的な香りに、ボクらは圧倒された。

この香水って今日のお料理にピッタリね。
あなたどうしてこんな魔法のような香水を
選ぶことができたのかしら?
奥様、びっくり。
ボクも正直、彼女はどうしてこんな香りを
選ぶことができたんだろうと秘密を知りたく、
エマの顔をじっと見つめる。
答えは食後のデザートと、一緒にご披露いたしましょ。


2012-09-27-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN