それにしても、今日の香りのマジックはすばらしかった。
さぞかしたくさんの香水を使って知識を得たんだろうね。
君はまるで香水のプロみたいだネ‥‥、
って、褒めるつもりで何気なくボクはエマにそう言った。

エマはニッコリ。
それからちょっと意地悪な顔になってこうボクに言う。

「そういうほめられ方って、
 ワタシ、そんなに好きじゃないのネ」

例えば食事に行って、
あなたが選んだワインが
とてもステキだったとするじゃない?
さぞかしたくさんのワインを飲んで、
知識を選んでしょうね。
あなたはまるでワインのプロみたいよネ。
って、そんなふうに言われてうれしい?

「確かにそれじゃぁ、まるで金に任せて
 ワイン三昧の鼻持ちならない殿方みたいに
 聞こえますわね‥‥」

奥様がやさしく合いの手を入れてくれます。




エマは言います。

どんなにワインに詳しい人でも、
世界中のワインを飲んだことなんて
絶対にないはずでしょ。
勉強をしたと言っても、ほとんどが見よう見真似。
あるいは誰かの知識の受け入りだったりするのネ。
つまり、ほとんどの人たちは
ワインにかんしては無免許運転。
ワインは車。
手軽なワインはオートマチックの乗りやすい大衆車。
高級ワインとかビンテージワインっていうのは、
スゴいエンジンを積んだスポーツカーみたいな存在。
ご近所の気軽なレストランで
手軽なワインを飲むっていうのは、
自宅の裏庭でスピードの出ない車に
乗っているようなものだから
特別な訓練なんて必要ないわよね。
でも、高級なお店で高級なワインを
自分勝手に飲んでる人って、
国際スーパーA級ライセンスも持たずに
F1サーキットにノコノコでてくるようなモノ。
無謀で、周りにいる人達までまきぞいになるような
事故を起こしてしまったりする。

ちょっとしたお店で、
ちょっとしたワインをたのしむためには、
運転手を雇わなくちゃ。
それがソムリエ。
ワインを心置きなくたのしむためには、
「選ぶ」のじゃなく「選んでもらう」。
当然、基本的な知識は必要。
その知識というのも、自分の飲みたいワインの傾向を
ただしく伝えることができるような知識であれば
それで良い。

それと同じよ。
香水だって。
バーグドーフ・グッドマンなんかに行ってご覧なさい。
とてもじゃないけど覚えきれないほどの
香水が置いてあって、
しかも次々、シーズンごとに新作がやってくるの。
それにね。
ちょっと蓋を開けて、
香ってみるくらいじゃぁどんな匂いかわかりゃしない。
何種類も嗅いでると、
そのうち鼻が馬鹿になっちゃったりもするし大変。
だからお店の人に聞く。
だって、彼らこそが香水のプロ。
ワタシは、必要な香水を選んでもらう
プロなんだから‥‥。




たしかにボクもワインのプロではないけれど、
ワインを選んでもらうプロになりたいなぁと
ずっと思ってレストランでふるまっていた。
だからなるほど。
プロを味方にするって、
どんな世界でもステキなコト、ってボクは思った。

「ところで、今日のこのステキな香水って、
 どのようにして選んでいただいたのかしら。
 その秘訣を私も知りたいわ!」

奥様の質問に、エマは再びニッコリし、こう答えます。

「簡単ですわ。
 ここのお店のコトを思い描いて伝えるんです。
 暖炉の前でプシュッとひとふり。
 その場が明るくなるような華やかな香りが
 すぐに落ち着いて、食事の邪魔にならぬ
 軽い香りになってくれるとうれしい。
 料理の最初は緑の香り。
 メインディッシュは炭焼き料理だから、
 ユックリ香りが重たくなってくれると
 なおさらうれしい。
 3時間ほどで食事がおわって、それからデザート。
 そのタイミングでバニラの香りがする
 パルファムがあればいただきたいのだけれど‥‥、と。

 それで薦めてもらったのがこの香水。
 実は二度ほど、つけて試してみたのだけれど、
 今日ほどその効果を実感できなかった。
 香水も、香る場所を選ぶんだわぁ‥‥、って
 今日はワクワクしながら
 一緒に香りをたのしませてもらえました」

エマの話しを聞きながら、耳の後ろをそっと撫でた奥様。
その指をご主人の鼻先に近づけて、
「あなた、本当にバニラの香りがしてきたわ、
 この香りにあうデザートって何かないのかしら」って。
それならここのザバイオーネはバニラの香りが華やかで、
クリーミーでとてもおいしい。
それにバニラのジェラートを添えて
みんなでいただきませんか? と。
シアワセな食後のたのしみを堪能しながら、
香水の香りもやさしく幕を引く。

そういえば、あなたがずっと
私を連れていきたいっておっしゃっていたレストラン。
日本に帰ったら早速そこの予約をとって、
一緒にそこのお店にピッタリの香水を
買いにいきましょうよ。
その香水を使うたび、
そのレストランの思い出にひたれるように‥‥。

奥様に「うん、イイね」とニッコリ答えるご主人の
幸せそうな横顔が、その日一番のマジカルなコト。

さて来週、料理と香りをまとめましょう。


2012-10-04-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN