例えばシェフが厨房の中で料理をつくるとき。
香水の匂いがおいしい料理作りの邪魔になるか‥‥、
という、ある意味、究極の問題を考えてみましょうか?

若い頃。
とあるイタリアンレストランの厨房で
働かせてもらったコトがありました。
そのお店では、厨房の中で仕事をする人として、
慎まなくてはならないルールが3つあった。
おいしい料理を作るのに不都合なコト‥‥、
という3ポイント。

(1)体臭に無頓着なコト
(2)タバコを厨房で吸うコト
(3)酒を飲むコト

という3点で、考えてみれば当たり前のコトばかり。
「規則正しい生活を心がけ、健康に気づかい、
 いつも清潔にしておきましょう」
という意味でもあって、
ならばどの順番に大切なんだろう‥‥、
というコトをみんなで考えてみたコトがあった。
匂いにタバコ、そして酒。
たしかにどれもが、
味見をする舌を中心とした感覚を邪魔するモノで
なかなか答えがみつからない。
シェフに考えを聞いてみよう‥‥、と。
答えは意外なものでした。




絶対にダメなのは「酒を飲む」コト。
匂いも、タバコも、そして酒も
「味覚を不確かなモノ」にする。
けれど、匂いやタバコは
「料理のうま味や風味を損なう」ように作用する。
けれどお酒は、
「料理をおいしく感じさせる」魔力をもってる。
「おいしい料理を、おいしくはなく感じさせるモノ」と、
「おいしくもない料理をおいしく感じさせるモノ」の
どちらが危険か考えてごらんなさい‥‥、と。

たしかに、イタリアやフランスに
レストランの視察旅行にいったとき。
タバコを吸うシェフがかなり多くてビックリした。
けれど仕事の合間の休憩時間。
ランチやまかないを食べながら
ワインを飲むシェフはほとんどいない。
ワインに合わせて試作した料理を
みんなで試食しようというときは、
ワインを水で割って薄めて、ワインの風味を感じながら
決して舌を甘やかさないようにして味わう。
そのクセして、タバコはぷかぷか。
それほど、調理人にとって
ワインはなやましい存在なのでしょう。

体臭なんて言うのは、それに比べて、
気をつけていればなんとでもなるんだから‥‥、と。

そう言われても、厨房の中の温度は高い。
ちょっと忙しく体を動かすと、
汗をかいてどうしても体臭は強くなる。
そんなときにはどうすればいいんですか?
と聞くと、これもビックリ。

そんなときには香水を使えばいいじゃないの‥‥、
とあっさり言われる。

料理の香りを損なうほど、
まるで浴びるように使うのでなければ、
いい香りは仕事の効率もあげてくれるし、
うちの料理ならばハーブの香りや
トマトやオレンジのような
柑橘系の香りを嗅ぎながら作ると
おいしくできるような気もするし。
厨房や料理のムードに合う香りを
選ぶことができるというのも、
調理人としてのセンスを磨くことにもつながる。
なによりレストランの厨房には、
香水の原料がたくさんあるんだ‥‥、
と、そう言われると確かに
ハーブやスパイスは香水の原材料のひとつでもある。
ちょっと枯れはじめて提供するわけにはいかなくなった
バジルやディル。
オリーブオイルと一緒に
キッチンペーパーで挟んで叩くと、
シットリとしたアロマシートができあがり、
それで軽く汗の部分を拭ってやると、
匂いがとれておどろくほどにやさしく
爽やかな香りが体を包み込む。




お店によって。
あるいは調理人によって、
違ったポリシー、考え方をもつこともあるでしょう。
けれど、ボクはもっとレストランで
香りをたのしむ冒険心をもってもいいのにと思うのです。

女性をレストランに誘うとき。
そしてそのレストランがユッタリとした客席配置で、
おしゃれが似合い
タップリ時間をかけてたのしむに
ふさわしいお店であれば、
「香りのおしゃれもしてみれば‥‥」って。
その一言は、どんなにおしゃれをしても
大げさじゃない場所なんだってメッセージにもなる。
香り選びに失敗せぬよう、
「明るくてモダンなインテリアのお店なんだよ」とか、
「クラシックでふっかりとした絨毯のある
 英国風のお店なんだよ」とか、
ヒントを添えると、香りだけじゃなく
その日の装いを決める手がかりにもなるだろうと。
はじめて行くお店だったら、
予約のときに、やんわり質問。
「一緒にお連れする女性が、
 香りのおしゃれが好きな人なんだけれど、
 ご迷惑にはなりませんか?」と。

「ええ、存分に」
「軽い香り華を添えていただけましたら、
 ありがたく存じます」
「小さいお店でございますので、
 香りは控えめにお願いいたします」

と、ほら、お店の雰囲気も
これで伝わってくるじゃないですか。
当然、それでおしゃれの仕方も変わってくるはず。
母とボクがラッキーチャンスで紛れ込むことができた
銀座の寿司屋なんかに、そんな電話をしたらばおそらく、
「もうしわけございません‥‥、
 その日は手前の手違いで満席になってございます」
と、ていよく断られていたに違いない‥‥、
と思いもします。
それもまたよし。
レストランによって香りの装いを変えるたのしさを
知っているのが、大人のステキなお客様。
‥‥、なのだろうと思いませんか?




ボクがニューヨークに魅せられて、
その街の住民にまでなってしまった20年前。
当時の日本の東京は超高層ビルもまだまだまばらで、
マディソン街や五番街を歩くと、
あまりの豊かさにめまいがするほど。
レストランだって、日本のどこを探してもないほどに
素晴らしいお店が当たり前にある。
なによりそのレストランを使いこなす文化が
シッカリ根付いてて、なんてすごい街なんだろうって
毎日ドキドキしていたモノです。

それから時が経って今の東京。
都心を歩くと、あぁ、ニューヨークに
負けない街になったんだなぁ‥‥、とウットリできる。
‥‥、のだけれど。
残念ながら、思わずふりかえりたくなる
大人の香りに欠けている。
街角でもそう。
当然、レストランの中にも香りの華がなく、
それは20年前もそうだった。
東京の街を歩いて、あぁ、ステキな香りが‥‥、
と漂ってくる方向をみると
そこには欧米から来た人たちが
背筋を伸ばしてスクッと立ってる。
「おしゃれな私がココにいるのよ、見てちょうだい!」
とどんな大きな声で言うより雄弁に、
香りが語ってくれるのに、なんだかちょっと勿体ない。

そういえば‥‥。

この20年間、まるで変わらず日本の人が
ニューヨークのような街にいって、
「あぁ、日本人だ」とひと目で分かる、とある特徴。
特に男性。
その特徴ゆえ、おしゃれな振る舞いが
出来ずじまいでいるとあるコト。
来週から、それをテーマにちょっとお話してみましょう。


2012-10-11-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN