ステキなレストランを作ってやろうという情熱よりも、
レストランに適した物件を手に入れる経済力の方が
飲食店を経営するのに重要になってしまった当時の日本。

料理を作る才能がどんなにあっても。
お客様をおもてなしすることがどんなに好きで上手でも。
その能力を発揮する場所に恵まれないから、
シアワセになることができない人があまりに多い、
そんな日本が嫌いになって、
それでニューヨーカーを気取ったボク。

さすがにニューヨークという街で、
レストランを一軒作ろうとすれば、
かなりの費用がかかってしまう。
世界中からこの街で一旗揚げよう、
と思って人がやってくる街のコトです。
東京以上に家賃が高かったり、
いい物件を手に入れることがむつかしかったりして当然。
とは言え、一年分の家賃に相当するような
法外な保証金を要求するような、
大家さんばかりにやさしいシステムがあるワケじゃない。
資産が無いからお金を借りたい。
にもかかわらず、担保がなくちゃお金を貸さない‥‥、
そんな臆病な銀行は商売上がったりなのが
アメリカという国のステキなところでもある。
情熱があって。
入念な計画があって。
なによりリスクを恐れぬ勇敢なチャレンジ精神があれば
誰にでもチャンスが巡ってくるのがアメリカという国で、
だからボクはいつかこの街、
ニューヨークで事業を起こそう、
それは多分、レストランになるだろう‥‥、
とずっと思ってがんばった。

けれど‥‥。






アメリカという国。
当然のコトだけれど、
さまざまなルールや仕組みが
昔から住んでいる
エスタブリッシュメントと言われる人たちのために
ある国なんだなぁ‥‥、と。
自由で公平、平等なように見えて
肝心のところにまでやってくると、
扉がゆっくり閉じていく。
ただ、自分にしかできない何か強みを持っていたら話は別で、だからアートだったり料理の世界で有名になってやろうと世界中から。
ボクもそのひとりになればいい、と思ってた。
アメリカンドリームを手にしようと考えていたのです。

けれど‥‥。

実際にニューヨークという街に住んで、
アメリカンドリームというコトと、
「ボクの夢が叶う」と言うコトが同じじゃない。
ちょっと違うなぁ‥‥、と思うようになったのです。

たまにマクドナルドのハンバーガーが
食べたくってしょうがなくなり、
一緒に行かない? ってエマを誘ったコトがありました。
そのとき、彼女は真顔でひとこと。
「わたしはネ、マクドナルドを食べないですむ人生を
 手に入れようと思って一生懸命がんばってきたの、
 だから二度とマクドナルドに
 誘わないでくださるかしら‥‥」と。

マクドナルドを食べないコトを誓った人生。
だからワタシは成功したの‥‥、と。
そういうエマは
特にエキセントリックなアメリカ人だったんだろう
と思いはする。
けれど、年収が上がるにしたがって、
ライフスタイルを一変させる、
それがアメリカの人たちの平均的な価値観で、
つまり今までの自分を捨てるコトで
上へ上へと向かっていく。
一旦、上がったら滅多がコトが無い限り、
階段を下に降りることはない。
選ばれるレストランも当然、
生活レベルにあわせて決まる。
だから例えば、ルイヴィトンのバッグを持って
マクドナルドに行くというようなコトはまず考えられない。

日本では富豪と呼ばれる人だって、
たまにマクドナルドを食べたり、
立ち食いそばって呼ばれるファストフードが
好きだったりするんだよ。
料理に上下は無いんだから。
その日の気分で、食べるモノ、
食べる場所を使い分けるコトができなきゃ窮屈じゃない?

そういうボクに彼女はいいます。
だって、ファストフードのお店で働いている人たちなんて、
私の生活圏にはいない人たち。
そんな人たちと
どうやってコミュニケーションを取ればいいの?
英語だっておぼつかない人たちが働いていたりすると、
あぁ、ココはわたしが来るべき場所じゃなかったんだ‥‥、
って思うのよね。
料理を食べて、お腹いっぱいになるコトだけが
レストランにいく目的じゃない。
そこで働いている人たちと、
心地良い一体感を味わって
たのしい時間を過ごすコトがもっと大切な目的なんだから、
行く店を選んで当然と思うのよ。
そうじゃなくって? と‥‥。






たしかにそういう考え方もある。
そしてそういう考え方を生む背景に、
完全な「社会的分業」という考え方と
システムが横たわっているんだとボクは気づくコトになる。
例えばベルサーチのスーツを来た紳士が
ダナキャランをまとった女性をエスコートして
訪れるようなイタリアンレストラン。
イタリア語訛りを装い、けれど見事なワインの知識をもった
ソムリエがさり気なくすすめるワインが
1本、200ドルはしてしまうような、
そんな店でも食器を片付けるバスボーイはメキシコ系。
厨房の中で下働きをするのはアジア系の人たちで、
彼らとお客様が直接、話をする機会なんて絶対にない。
レストランの中だけでなく、社会の隅々。
街のそこここに、そうした分業が存在し、
生産性の低い、
つまり経済的に報われることが少ない仕事には
まだこの国にきて間もない人たちが就くことに
決められている。
そして、そうした
経済的に報われることが少ない仕事の一つに
「安くて気軽な飲食店」が分類されてしまっているコト。

社会の中のすべての仕事を、
同じ日本人が分け合うコトが当然だった当時の日本。
そこから来たボクにとって、自分がすべきコトを
他人に押し付ける分量が多ければ多いほど
立派な人だとほめられる、
そんなアメリカ的な考え方に
どんどん違和感を感じるようになっていた。
ボクがいるべき場所はもしかしたら、
ココじゃないのかもしれないなぁ‥‥。
店の主人であれ、昨日入ったばかりのアルバイトであれ、
気づいた人がトイレの掃除をして当然な、
日本的なる人間関係がなつかしくってしょうがなく。
それまでホームシックなどいささかも感じたことがなかったボクが、母からの
「ミュージカルのチケットをとっていただけないかしら」
という、その連絡にココロをしたたかかき乱された。

トニー賞をとったばかりという作品。
好みの席のチケットをとるのは至難の技と言われたそれの、
舞台全体を見渡せるうえ、舞台の上で演じる人の額を
汗が伝って落ちる様までしっかと見極められる
すばらしき席の切符が2枚。
なぜだかスンナリ手に入る。
チケットの日付は40日ほど先のコト。
あっという間にその日は来ます‥‥、
また来週にいたします。



2012-12-13-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN