フォーマルなおもてなしの食卓。
社交の場であるそこにも当然、この一線があるのです。
ゲストの正面にはプレイスプレート。
飾り模様もうつくしい大きなお皿がドッシリ置かれ、
その右側にはずらりとナイフ。
反対側にはフォークがならび、その数を数えれば
これからいくつ料理が出てくるか想像できる。
一皿20分から30分をかけてたのしむとするならば、
ナイフ2本で1時間。
4本並べばお腹を満たすのに、2時間かかる。
果たして、その時間分の話題を持ってきたかしらと、
ドキドキしたりするコトになる。
プレイスプレートの向こうには、
デザート用の小さなナイフにフォーク。
そしてこれらナイフとフォークが“社交の一線”なのです。
キラキラきれいに磨き上げられた銀色の一線の
向こう側に決して手を出してはいけない。
特に他の人のナイフとフォークを越えて
手を出すということはバッドマナーで、
だから例えば塩が隣の人の前にあったとしましょう。
手を伸ばしたら取れそうで、
でもその間にはナイフやフォークが置かれてる。
だから一言。
「パス・ミー・ザ・ソルト?」
塩をとっていただけます?
それが社交というワケです。
食事が進んでいくに従い、
ナイフ、フォークは一対づつ消えてなくなる。
隣同士を隔てていた社交の壁がどんどん薄く、
低くなってく。
お腹も満たされお酒もすすむと、
互いの距離が縮まってそれにあわせるように、
互いを隔てる線がなくなりはじめる。
デザートがやってくる頃には、
同じテーブルを囲む人たちはみんな友人。
和食にあっては、お膳がそういう役目を果たす。
料理はお膳の上に置かれて、
それが食事や水菓子がやってくる頃にはお膳はなくなり、
食卓全部がひとつのお膳のようにふるまう。
社交という場では、時間をかけて食事をしながら
理解を深めて行くものだ‥‥、というのが
世界の大方の常識なのだろうと思うのだけど、
そこで中国料理の円卓。
上下がない。
境目がない。
隣り合う人との境界線が限りなく希薄な食卓。
それが円卓。
円卓接待におけるマナーは一体どういうものなのですか?
円卓接待にお呼ばれしたときに、
何を気をつけなくてはならないのですか?
って聞かれるコトがあります。
答えは簡単。
お腹をすかしておいきなさい。
料理を自らとることはせず、
もてなす側が薦めるものを勧められるがまま食べる。
そして、たのしい話をしなさい。
円卓にお呼ばれするということは、
すでに気を許した
友達のような関係なんだというコトだから。
なんだか誰かを円卓に呼びたくなってしまいます。
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