194 コース料理のたのしみ方。 その2乾杯のタイミング。

良いサービスを受けるため。
時間をかけて料理を味わいましょうといっても、
時間をかけると料理の味が落ちてしまうんじゃないですか?
特にぬるくなったり、冷めたりすると
料理が台無しになっちゃうんじゃないですか?
と、疑問に思われるかもしれません。
まことに尤も。
おいしい料理をおいしい状態で食べるコトこそ
最高のマナー。
にもかかわらずよいサービスのために、
おいしい状態を逃してしまうコトがあったとするなら
それは本末転倒。

どうすれば、この矛盾を解決できるのか。
それが今日のテーマです。



冷たい料理は冷めないから、
だからユックリ食べてもいい‥‥、とそう言い訳すると、
冷めはしないけど劣化するよとお叱りうける。
料理が乾く。
香りが逃げる。
室温で徐々にぬるくなったりすると、
冷たい料理も時間によって味を変えていく。
その典型が「寿司」でしょうか。
だから時に寿司のカウンターは調理人と食べ手の
一対一の真剣勝負の場のような様相を
呈することがあったりするほど。

ただ熟練の調理人は、
時間を味方につける調理を心得ている。

例えばサラダ。
ドレッシングには油がたいてい含まれている。
油をとると太るからと、
ノンオイルドレッシングが人気だったりしますけれども、
この油。
温度の変化や乾燥に神経質なほど反応する、
野菜を空気から守るためのモノ。
味をつけるというよりも、繊細な野菜を外気から守る役割。
つまり「ドレス」のような役割をするもの。
それがドレッシングなのですね。
だから時間がたってもおいしい。
むしろドレッシングを絡めた当初は、
野菜とドレッシングが互いに反発しあって
それぞれ別のモノとして口で暴れる。
野菜は野菜の味がして、
ドレッシングはドレッシングの味がする。
ところがこれが時間がたつと、互いがひとつに混じりあう。
野菜の繊維にユックリ、しかし確実に調味料が忍び込み、
野菜自体が変えていく。
レタスの葉っぱはしんなりと。
ニンジンや大根のような根菜類はハリを手に入れ、
甘みが増してく。

勢い良くバリバリ食べると、
一種類の「サラダ」という料理を食べて、
あっという間にお皿は空っぽ。
ところがユックリ味わうと、最初はサラダで
それが気づけば野菜のマリネのようになって
終わるのですね。
時間をかけるとひとつの料理を乗せた一皿が、
いくつもの料理を載せたお皿にかわる。
それが料理のもつ魅力。

だからユックリ時間をかけて料理を味わう。
まず、その姿。
葉っぱの色合いや、
それがパリッとクリスピーでみずみずしい様を眺めながら、
口の中でどんな味なんだろうと
シミュレーションをしてみたりする。
歯ごたえ。
味わい。
温度感。
本来、口が味わうべきさまざまなモノのヒントが
どこかにないかと思いながら、丁寧に料理を見てると、
香りがフワッとやってくる。
今まで食べたことがない料理であれば、
そのシミュレーションは一層たのしい。
どんな味がするんだろう?
今まで食べた、どんな料理に似てるんだろう‥‥、
と思いながら香りを味わう。
そしてみんなで互いが感じた感想を言い合っていると、
あっという間に1分、2分はすぎていく。



調理人も時間がたっても、
冷たい状態が持続するよう工夫をします。
お皿を冷たくひやしておく。
お皿だけでなく、冷たい料理を食べるために
冷やしたナイフやフォークを
わざわざ用意するようなお店もある。
そもそも不思議なことなのだけれど、
時間をかけて作られた料理は
なかなか冷めようとしない性格があるようです。
入念な準備のもとに提供される料理も冷めない。
これはあたたかい料理においても同じコト。
時間をかけてコトコト煮こまれたり、
焼かれた料理はなかなか冷めない。
けれど、電子レンジで加熱した料理は、
最初は熱々なのにあっという間に冷めてしまう。
食材の中に温かかった時間の記憶があって、
その記憶の分量が多ければ多いほど、
ずっとあたたかくいてくれるのだろうと思うほど。

冷たい料理を食べてるうちに、
どんどんヌルくなったとしましょう。
そういうお店の料理は時間をかけて味わう価値のないモノ。
だから急いで食べましょう。
食べてる途中でお店の人に、
次の料理を急いで作ってくれませんか?
と言ってもいいかも。
だってすぐにできる料理を売ってるお店に違いないから。

さてさて、ところで。
あたたかい料理はやっぱり
熱いうちに急いで食べたほうがいいのじゃなかろうか?
それが次の課題でしょうね。
そもそも「熱々の料理」って
本当に「おいしい料理」なんだろうかと、
来週ちょっと考えます。


2014-07-10-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN