194 コース料理のたのしみ方。 その2乾杯のタイミング。

料理を時間をかけて楽しんでいただこうという
調理人たちの創意工夫は、
いろんなところで今日もひたすら行われている。

その工夫が「この一皿」に凝縮されることもあれば、
コース料理といういくつもの料理たちがつむぎあげる
「時間」の中にちりばめられることもある。

そのコース料理の本質を読み解く前に、ちょっと寄り道。


かつて伝説の寿司屋が東京の町外れにありました。

小さなお店。
カウンターだけ。
予約のみ。
しかも毎日、6時と8時。
その時間に遅れると入店することもできなくて、
1時間半一本勝負で総入れ替え。
メニューはその日のおまかせ一種類だけ。
「だけだけ」尽くしで、けれど仕事が見事で丁寧。
値段も銀座の高級店で食べると思えば破格に安く、
それで評判。
なかなか予約の取れないお店になっていた。

母が噂を聞きつけます。
ワタシどうしても言ってみたいの‥‥、と、
ひとりごとのように毎日つぶやくモノで、
ならばと予約を必死にとった。
かつては予約のための電話番号があったのだけど、
いつしかそれは不通になった。
常連さん限定の携帯電話の番号だけが、
予約を電話でする手段。
けれどほとんどの人が、食事を終えて
次の予約をとってかえるから、
電話でとれる客席はとても少なく争奪戦。

住所はわかる。
6時開店ということは、多分、
4時くらいに仕込みをはじめるに違いなく、
ならばその時間にお店の前で待っていれば、
店のご主人に会えるだろうと、店に行く。

そしたらすでにお店の中で仕事をしている気配がする。
試しに扉をトントン叩くと、気配が消えて、
けれど扉が開くことはない。

一旦仕事をはじめたら、邪魔されたくはないのでしょう。

ならばと次の日は3時に行った。
それもすでに時遅く、お店の中に人がいる。

2時に行っても同じコト。
こりゃ、もしかしたらこの店に
住んでいるのかもしれないぞ‥‥、と思いながらも
あきらめず、思い切って朝から待ってやろうと思って
8時にお店の前に立つ。


ボクも仕事をしながらでありますからして、
この8時にお店の前に立つに至るまで、
すでにほとんど1ヶ月。
その間、ずっと母は、まだお寿司は食べられないの?
と、ボクの顔を見るたびに聞く。

さて8時。
何時間か待つつもりでお店の前に立っていたら、
なんとまもなく坊主頭にジャージ姿の男の人が
自転車にのってやってくる。

怪訝な顔で店の前のボクを見るものだから、
お店の方ですか?
どうしても予約をとりたくて、何度かうかがったのですが
お目にかかることができなかったもので、
朝からやってきてしまいました‥‥、と事情を言った。

毎朝、市場に仕入れにいくんです。
そしたら店に戻って、一旦仮眠をとって
午後からずっと仕込みをするから
営業時間が来るまで店の外にはでないんですよ‥‥、と。
もしかしたらココに住んでらっしゃるんですか?
と聞いたら、ハシゴで上がった
2階の4畳半が住まいなんですと、言うではないの。
なんと気合の入ったコト。
スゴいですネ‥‥、とびっくりしたら、
それにしてもあなたもスゴい気合ですねと。

どうしても母が来たいと言うモノで。
予約がとれないと、家の中で毎日針の筵なんです‥‥、
というボクに、ならば一週間後の6時なら
ちょうど昨日キャンセルが出たのでご用意できますがと、
なんたる幸運。

ボクはその日を早引きにし、
母は軽めの昼で腹ペコにして
いそいそ、お店に出かけたのです。


不思議な体験でした。

6時の10分ほど前から一組、
また一組とお客様がやってきて
約束の時間のちょっと前には
8名がカウンターを囲んで全員揃う。
その間、坊主頭のご主人がお茶をふるまい、
お飲み物が必要でしたらビールのご用意はございますと
説明をする。

そして6時。
ご主人が一旦お店の奥に下がって、
桐のお櫃を小脇に抱えて戻ってくると、
「いらっしゃいませ」と深々と頭を下げて
寿司を次々にぎりはじめる。

惚れ惚れするようなネタ。
惚れ惚れするような握り姿で、
さすが、評判は伊達じゃないのね‥‥、
と感心しながら寿司をつまんでお茶を飲む。

提供される寿司の順番がまた絶妙で、
軽いモノから重たいモノへと突き進んだかと思うと、
シャキッと歯切れのよい貝が間に挟まったり、
お腹が疲れてきたぞと思うと、
すかさず青い魚の酢じめを、
しゃりにのせずにつまみでさっと出してくる。

作り手の完成された世界に口を挟むのは、ココでは無粋。
おまかせ一本というのも、ありだなぁ‥‥、
と悦に入ってたのしんでると、母とボソリとボクに言う。

ワタシ、この店が
なんでこういうシステムなのか分かったわ。
この人。
人が雇えないから、
自分一人で店を切り盛りする方法を考えたのよ。
それがこのシステム。
これなら仕込みさえしておけば、ひとりでできるもの。
酒もビールだけなら瓶の栓を抜いておいとけば、
客が勝手に飲むものネ。
ロスもでないし、良く考えたものだわぁ‥‥、って。

悪気はまるでなく、ただただ商売人として良く考えたと
素直に感じたままを口に出した母。
声は小さく、母はボクだけに言ったつもりだったに
違いなく、けれど小さな店です。
食べ手はみんな息を潜めて
ご主人の仕事に気持ちを集中させてる。
だから母の声は思いがけずも
みんなの耳に届くことになったのですネ。

店の空気は凍ります。

あら、ごめんなさい。
素人考えで思ったことが
口をついて出ちゃって本当にごめんなさい。
謝る母。
ご主人はしばし手を止め、
紙切れに数字をいくつか書いていきます。
その紙切れを母に手渡しながらご主人、一言。

「奥さんみたいに正直なお客様はアリガタイ。
 勉強になります。
 今度気づいたコトがあったら、
 ボクの携帯に電話をかけて
こっそり教えてくださいね」 と。


寿司好き垂涎の予約がとれる電話番号を、
母はちゃっかりせしめた上に、
その場の空気はガラリと気軽であたたかになった。

もう20年以上も前のコトです、なつかしい。

さてこのお店のこのシステムと、
コース料理の本質の類似性。
来週、説明いたしましょう。



2014-07-31-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN