それは、うなぎのタレの炊き方でした。
当時の父は、司法試験に向けての勉強中。
正義感の強い性格の彼は、
強気をくじく検事になるのが目標で、
だからうなぎのタレなんて作り方を知らなくてもいいよ、
特に彼女にはそんなことは教えなくても‥‥、
と言ったのだけど、それなら結婚はまかりならんと。
それで2人は真面目な生徒になったのです。
学びはじめると、父の彼女は飲み込みもよく、
間もなく免許皆伝。
それが母。
幸か不幸か、そのあと、結局、
在学中にできてしまった子供のために、夢を棚上げ。
それがボク。
祖母から暖簾分けしてもらい、
祖母と同じ街では仁義にもとる。
隣の県の松山という街にお店を作り、
そのうなぎのタレでボクら子供を育てることができたんだ。
‥‥、と、こういう話を
両親から聞いたのがボクが小学校の6年生のとき。
どうだ、タレの炊き方を教わりたいかと言われて、
面白半分に教えてもらう。
材料自体はリストにすればたった4行。
炊き上げる手順も文字にすれば
400字詰めの原稿用紙で一枚分でまとまるほどに、
書けば単純。
ただ、四斗炊きほどの大きな羽釜で炊かねばならない。
小一時間。
ずっと片時も羽釜から離れることなく、
ずっと柄杓をもった手を休ませることなく動かし続ける。
かき混ぜながら羽釜の中の液体をすくって持ち上げ、
再び羽釜に戻してやる。
そうすることですべての素材がまじりあい、
空気を含んでなめらかになる。
柄杓の角度、深さに時間。
羽釜をくべる火の強さ。
すべて目と耳、鼻に手がおぼえてなすべきことで、
おばぁさんから子供にしか教えちゃいかん。
それも息子。
あるいは息子の嫁にだけ。
いつか嫁にいってしまう娘には教えるんじゃないよ‥‥、
と、それが遺言だったんだよ‥‥、と。
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