027 たのしく味わう。その27
秘伝のタレ。

父のおかぁさん。
つまりボクの祖母に当たる人ですけれど、
彼女はうなぎ料理が売り物の
料亭の女将として子供を育てた。
女将と言っても、調理場にたち職人たちを差配する、
今でいうところのオーナーシェフのような立場の人。
天才肌で気まぐれで、激しくもありやさしくもあり。
料理の旨さもさることながら、
祖母が目当てのおなじみさんでにぎわうお店‥‥、
だったのだという。

父はやがて大人になって、結婚をする。
学生結婚。
その結婚をする前に、身を固めたい。
好きな女の子がいるんだが‥‥、と、
おそるおそる言った父に、祖母はこういう。
「一生、喰うに困らぬ秘密を教えてあげよう。
 だから彼女を連れて来なさい。
 できれば2人に教えたいから‥‥」と。



それは、うなぎのタレの炊き方でした。
当時の父は、司法試験に向けての勉強中。
正義感の強い性格の彼は、
強気をくじく検事になるのが目標で、
だからうなぎのタレなんて作り方を知らなくてもいいよ、
特に彼女にはそんなことは教えなくても‥‥、
と言ったのだけど、それなら結婚はまかりならんと。
それで2人は真面目な生徒になったのです。
学びはじめると、父の彼女は飲み込みもよく、
間もなく免許皆伝。
それが母。

幸か不幸か、そのあと、結局、
在学中にできてしまった子供のために、夢を棚上げ。
それがボク。
祖母から暖簾分けしてもらい、
祖母と同じ街では仁義にもとる。
隣の県の松山という街にお店を作り、
そのうなぎのタレでボクら子供を育てることができたんだ。

‥‥、と、こういう話を
両親から聞いたのがボクが小学校の6年生のとき。
どうだ、タレの炊き方を教わりたいかと言われて、
面白半分に教えてもらう。
材料自体はリストにすればたった4行。
炊き上げる手順も文字にすれば
400字詰めの原稿用紙で一枚分でまとまるほどに、
書けば単純。
ただ、四斗炊きほどの大きな羽釜で炊かねばならない。
小一時間。
ずっと片時も羽釜から離れることなく、
ずっと柄杓をもった手を休ませることなく動かし続ける。
かき混ぜながら羽釜の中の液体をすくって持ち上げ、
再び羽釜に戻してやる。
そうすることですべての素材がまじりあい、
空気を含んでなめらかになる。
柄杓の角度、深さに時間。
羽釜をくべる火の強さ。
すべて目と耳、鼻に手がおぼえてなすべきことで、
おばぁさんから子供にしか教えちゃいかん。
それも息子。
あるいは息子の嫁にだけ。
いつか嫁にいってしまう娘には教えるんじゃないよ‥‥、
と、それが遺言だったんだよ‥‥、と。



ずっしり重たい羽釜の中の液体が、徐々に軽くなっていく。
最初は柄杓を持ち上げるコトが難儀なくらいに
それは重たく、ところが突然、
柄杓を沈めるコトに難儀するほど泡立ち、中身が軽くなる。
熱が入って、羽釜の中の材料が
完全にひとつに混じりあった合図で、
泡に翻弄される柄杓を上手にコントロールしながら
火加減をみてしばらく混ぜると、
ある瞬間にずっしり柄杓が重くなる。
そしたら火を止め、休ませたらば出来上がり。

先日もひさしぶりに炊いてみたけれど、旨いです。
うなぎを焼くだけでなく、
照り焼き的なる料理はみんなおいしくできる。
ただ、昔、父が経営していた店で食べる
うなぎのようにはおいしくならない。
理由はわかっているのです。
わかっているけど、どうしようもない。
なぜどうしようもないのか来週、お話しましょう。
今日はなんだかボクの身の上話のようになりました‥‥。




2015-09-10-THU



     
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN