「足し算ばかりじゃ、見苦しい」
何かあると母がつぶやく口癖でした。
ボクの手を引きながら商店街を歩いていると、
向こうから派手な服を着て首からジャラジャラ、
大きな石のぶら下がったネックレス。
ハンドバッグにつばの広い帽子をかぶった
女性がやってくる。
「足し算ばかりじゃ、見苦しいでしょう。
何か一つを引けばカーニバルの踊り子さんみたいに
ならなくってすんだのに」
あるいはこんなふうにもつぶやく。
昔の百貨店の食品売り場に置かれてた、
色とりどりのキャンディーが入った
メリーゴーランドみたいな装置。
好きなものを選んでいいのよ‥‥、
と言われたはいいけれど、
あれもほしい、これもほしいと
手にした籠にいれていくと収拾がつかなくなっちゃう。
どうしようかと悩んでいると、
「ほら、足し算ばかりじゃ見苦しいって
いつも言ってるでしょう。欲しいものがあるのなら、
まず引かなくちゃ‥‥」ってニコリと笑う。
ボクが食べたい目玉焼きを手に入れるため、
玉子をひっくり返さなくちゃ
いけないかもしれないんだ‥‥、と思った朝。
けれど、ひっくり返すとあのツヤツヤで
白と黄色がクッキリとした、
目にうるわしい目玉焼きになってくれないんだと思って
なかなか決心できずにグズグズしていたときにも、
母はこういう。
「お料理もネ、足し算ばかりしていると
おいしい料理にならないの。
なにかをガマンしなくちゃいけないこともあるのよ‥‥」
と。
ひっくり返さず片面だけ焼く焼き方を
あれだけ沢山ためしても、
思うような目玉焼きにはならなかった。
そしたらもうひっくり返さないという
こだわりを捨ててみなくちゃいけないんじゃないでしょう。
今日はひっくり返すわよ‥‥、いいでしょう?
ボクはもう心配で心配で仕方なくって、
母が玉子をひっくり返す横でずっと様子を見てた。
水を注がず蓋して片面を焼いた玉子。
黄身の表面も白い膜ができ、
白身もしっかりかたまってくる。
フライパンを揺すると玉子はスルスル、
鍋肌滑っていつひっくり返ってもいいような準備が出来る。
フライ返しを下にすべらせ、
玉子をスッと持ち上げてひっくり返してそっと置く。
熱いフライパンの上で
白身がジリジリ音をたてて焼かれていくのがわかる。
どれくらい焼けば黄身が思い通りの状態になるのか、
それからまたしばらく試行錯誤を繰り返す。
結局、玉子をひっくり返したら
強火で1、2、3、4,5とユックリ数える。
5つ数えたら蓋して、火を止め30秒。
白身の縁はサクサク焦げて香ばしく、
白身はプルンとハリを保って固まって、
黄身の芯はトロリとなめらか。
どこをとっても旨味がしっかり凝縮された
ボクの好みの目玉焼きになってくれるというコトが
2ヶ月目にしてやっとわかった。
そしてその2か月間で、
少年、サカキシンイチロウくんは、
いろんなことを学びました。
自分の好みの料理を作ってもらうことは
とてもむつかしいコト。
そのためには、自分の好みを正しく伝える術を
身につけなくてはならないというコト。
つまり、料理というものは、
食べる人と作る人との共同作業で
出来上がるものなんだというコト。
しかも、どんなに言葉を尽くして説明しても、
その通りに料理を作ってくれるためしはないという
厳しい現実にその後、直面することにもなる。
いつもは丁寧に、朝食を作ってくれる母も
ときに忙しい朝にバタバタすることがある。
そんなときには、
「ごめんね、今日はパパの目玉焼き以外は、
一度にまとめて作っちゃった」と、
芯まで焼けた両面焼きの目玉焼きがお皿の上にのせられる。
料理を「作りたいように作る」のは簡単。
けれど、「食べる人のために、
食べる人が食べたいように作る」ことは
面倒くさくて手間がかかるコトなんだなぁ‥‥、と、
ボクは思った。
だからボクが小学生になったとき、
母がもうフライパンを持ってもいいでしょう‥‥、と
自分の目玉焼きを作るコトを許してくれたときには、
うれしかった。
だって、「自分が食べたいように作る」
コトができるんだから。
母が作っているところはずっと見ていた。
だから見よう見まねで作ることは簡単なはず。
なのに、なかなか思うようには作れない。
火加減。
油の引き方。
玉子の置き方。
ひっくり返すタイミングや、そっとやさしく返すやり方。
どれもがやってみると難しく、
作り方を知っているはずなのに思うように仕上がらない。
料理を作るって、大変なことなんだなぁ‥‥、
と学んだボク。
それでも1ヶ月ほども焼き続けると
なんとかコツをつかんで
理想の目玉焼きをかなりの頻度で
焼き上げることができるようになる。
そうなると、その目玉焼きを
誰かに食べさせてあげたくてしょうがなくなる。
そんなボクに、格好の機会がやってきました。
自慢げにサカキシンイチロウ流目玉焼きを
作ってしまう‥‥、それが小さな事件となった。
さて来週。
発行年月:2015.12
出版社:ぴあ
サイズ:19cm/205p
ISBN:978-4-8356-2869-1
著者:サカキシンイチロウ
価格:1,296円(税込)
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「世界中のうまいものが東京には集まっているのに、
どうして博多うどんのお店が東京にはないんだろう?
いや、あることにはあるけど、少し違うのだ、
私は博多で食べた、あのままの味が食べたいのだ。」
福岡一のソウルフードでありながら、
なぜか全国的には無名であり、
東京進出もしない博多うどん。
その魅力に取りつかれたサカキシンイチロウさんが、
理由を探るべく福岡に飛び、
「牧のうどん」「ウエスト」「かろのうろん」
「うどん平」「因幡うどん」などを食べ歩き、
なおかつ「牧のうどん」の工場に密着。
博多うどんの素晴らしさ、
東京出店をせずに福岡にとどまる理由、
そして、これまでの1000店以上の新規開店を
手がけてきた知識を総動員して
博多うどん東京進出シミュレーションを敢行!
その結末とは?
グルメ本でもあり、ビジネス本でもある
一冊となりました。