それにしてもイタリアのレストランと
日本のレストランはまるで違ったものに感じる。
日本のレストランはメニューの種類が豊富。
お客様が食べたいもの。
ライバル店が提供しているものを
過不足なく品揃えしなくちゃ
お客様に失礼と思う気持ちが強いのでしょう。
サービス精神がきわめて旺盛。
一方イタリアのお店は
どこもかなりメニューがしぼりこまれてる。
他のお店のことは気にしない。
お客様にどう言われようと、
自分たちが得意で
自信をもって勧められる料理だけを作ってふるまう。
サービス精神が欠けているのでなく、
期待していらっしゃるお客様の期待に
応えることができないことは
失礼と思う気持ちのあらわれでしょう。
日本人は手が器用。
勉強熱心で、他の人に負けちゃいけないって思いがち。
だから日本人シェフはどの国、
どの店に行って修行をしても
たちまち料理をマスターしすぐ一人前になると言われる。
勉強熱心で向上心が強いのはお客様も同じコト。
レストランに行って、もっともっとと要求をする。
別の店でこの前こんな料理を食べたんだけど、
作れるかなぁ‥‥、なんて聞いちゃう。
聞かれた方も、簡単ですよ‥‥、
って作ってそれが定番メニューに仲間入りってことが
日常的に起こる。
それが日本の外食。
結果、厨房の中の作業が複雑で煩雑になり、
仕入れる食材の種類も増える。
結果、管理がむつかしくなり
「いそがしいのに儲からないなぁ」
ってことが起こってしまうのですネ。
一生懸命、必死になって働いたからといって
売上が増える時代じゃないのだから、
もっと気楽に自信をもって作れる料理だけで
営業すればいいのにって最近、しみじみ思ったりする。
寄り道でした。
さて、フィレンツェで
ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを楽しんだ夜。
ボクらと同じように
ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを食べ、
支払いを前に立ち上がったおじさん。
グラスの足を手に持って、
グラス本体をスプーンで軽く細かく叩きはじめる。
チリチリチリンとベルのような音がして、
うるさいほどのおしゃべりが一瞬止まる。
そしてみんなおじさんの方を注目します。
注目したのはおじさんのテーブルの人たちばかりか、
レストランのほぼ半分くらいのテーブルの
注目を集めてしまって、おじさん、少々、緊張の面持ち。
けれどすぐに笑顔になって、
よく通る声で話しはじめます。
興味津々。
通訳の人に訳してもらうことにした。
曰く。
今晩はひさしぶりに会って
たのしい食事ができて本当にうれしかった。
料理もワインもおいしくて、
このまま帰ってしまうことができたら
どれほどシアワセだろうと思う。
がしかし、私の手元には残念ながら勘定書が一枚。
今計算したら、人数で割り切れる金額ではなく
考えると頭がいたい。
総額89万リラ。
(小さな拍手がここでテーブルからあがりました。)
我々全員で12名だから
7万リラを集めると5万リラ足りなくなる。
そこで相談だが、この中でオレが一番良く食べ、
飲んだという人間を5人選んで
彼らからは8万リラを徴収しようと思うのだけど‥‥、と。
さてそこからが大騒ぎ。
オレの方が食べた、いや、オレが一番飲んだんだ‥‥、
とみんなが大食い時自慢をはじめ、
結局、みんなが8万リラを出すことになる。
おじさんの手元には96万リラ。
それをそのままお店の人にわたして、
お騒がせしたお詫びにと残りはチップとしたのです。
割り勘すること。
お金を集めて計算すること。
なんだかちょっとかっこ悪くて
恥ずかしいことのように思ってしまうことも、
当の本人がたのしみながら
テーブルの上ですべてのことを
完結させることができるならかっこいいこと。
悪くないな‥‥、と思うのです。