1970年代からはじまった外食産業の歴史。
10年ごとに時代の主役が変わっていった歴史でもある。
1970年代はアメリカからやってきた
ファストフードチェーンが外食の主役でした。
清潔な店。
にこやかなサービス。
いつも同じ料理がスピーディーに提供される。
テイクアウトというそれまでの日本の飲食店になかった
サービスもこの時代のファストフードからはじまった。
1980年代はファミリーレストランの時代でした。
ファミリーレストランが生まれたのは東京近郊。
東京の西側の三多摩地区と呼ばれる場所であったり、
神奈川県の内陸地区とか湘南地方。
車で移動することと生活することが
同義語であるような地域でそれは生まれて育った。
集客の武器にしたのが大きな駐車場と、同時同卓という
「個人」ではなく「家族」という単位をもてなすことに
適したシステム。
都会の周辺からはじまったブームはまたたく間に
地方に広がって、日本の津々浦々に
ファミリーレストランのようなお店が次々できる。
1990年代になろうか‥‥、という頃。
外食産業にとって困った出来事が起こります。
バブル景気のせいで、
外食産業で働きたいという人が激減します。
金融業とか不動産業とか、
景気のよい産業が高い賃金で
若者を採用するようになってしまって、
仕事がきつく、その大変さに比して
待遇が悪いと言われる外食産業は嫌われた。
同時同卓という仕組みを守れなくてはならない
ファミリーレストラン業界が最も打撃を受けました。
そこで大手が目を向けはじめたのが「居酒屋」でした。
居酒屋の料理提供のスタイルはとても独特。
できたものから出せばいい。
同じテーブルで冷奴に刺し身、唐揚げ、天ぷら、
ホッケの塩焼き、焼きそばをたのんだとしましょう。
ファミリーレストランならそれを
一斉に出さなくちゃいけない。
でも居酒屋で全部が一度に揃うことなど、
誰も期待しないし、
そんなことが起こってしまったら迷惑至極。
酒をたのしく飲めなくなっちゃう。
その特徴が人手不足の時代に、
都合いいな‥‥、と居酒屋業界の人たちは思った。
だって厨房の中で出来上がった料理を、
出来上がった順番に運べばいいのです。
定食とかセットとかといったものを用意しさえしなければ、
商品の出来上がり方をコントロールする
調理長の仕事は必要なくなるし、
料理が出揃うのをコントロールして
商品を運ぶタイミングを判断する人も必要なくなっていく。
レストランなら料理を出す順番を守る必要がある。
前菜はメイン料理の前に必ず提供されなくちゃいけないし、
スープがメインの後に出てくるなんてことは
断じて許される事じゃない。
時間差をもってやってきたお客様が、
まったく同じコース料理を注文しても
料理をまとめて調理することはできないという手間が必要。
居酒屋ならばそのしばりはなくなり、
まとめて調理し手間と人手を省くことができてしまう。
人の数が少なくてすむ上、
特別な経験や働く人たち同士のコミュニケーションを
あまり必要とせぬ仕事でお店が回っていく。
急速展開をするのにありがたい特徴でもあって、
居酒屋チェーンが次々できた。
そのとき、チェーン展開を目指した人たちが思い出したのが
ファミリーレストランが外食世界を制した歴史。
「男の場所」だった飲食店を
「女性や家族が快適にたのしめる場所」にすることで
産業化が一挙に進んだ。
女性はわかる。
女性も抵抗なく来ることができるお店を作ればよい。
あるいは女性を安心して誘うことができるお店を
作ればよくて、清潔で居心地のよい店作りや、
健全に感じる場所がその決め手。
けれど居酒屋における「家族」って
一体どういう人たちなのか。
その答えを得た人たちは後に上場を果たす
日本の代表的な外食企業になったのです。
答えは来週。
20世紀の終わりの日本の物語。