英語にlow-key(ローキー)という言葉がある。
日常でも、たとえば
「a low-key person」「a low-key ceremony」
といった使い方を耳にする。
「控えめな」「物静かな」といった意味合いだ。
アメリカの一線で活躍する人の中で、
low-keyな人を探すのは少々難しい。
この国はプレゼンテーションの国で、
表現してアピールすることは、
実際にする仕事と同じくらいか、
時にそれ以上に重要になる。大統領選の党大会など、
誰が一番、演説がうまいかを競いあう、
スピーチコンテストの様相を呈してくる。
テレビの出演者のなかで、
“ローキー”な人を見つけるのは、さらに至難のわざだ。
「客が逃げない」ようにするために、
テレビがなんとか「盛り上げ」ようとするのは、
アメリカも日本も変わらない。
「控えめで、物静か」という番組も出演者も、
かつてに比べると確実に少なくなっている。
テッド・コッペル氏は、
“ローキー”という言葉がふさわしい人物だった。
彼はアメリカ3大ネットワークのひとつであるABCで、
夜のニュース番組『ナイトライン』の
キャスターを25年つとめた。
その日のニュースの最もホットな人を中継で結び、
最も聞きたいことを聞く、のが番組のスタイルだった。
彼はいつも穏やかで、
決して感情をあらわにすることがなかった。
どんな時も表情を変えずに、
淡々とインタビューにのぞんだ。
民主党的な考えを持つ人には共和党の見方から、
共和党的な考えを持つ人には民主党の見方から質問した。
インタビューする相手と逆の立場をとることで、
論点をはっきりさせようとした。
彼は2005年、11月22日を最後に、
番組を降板した。
その1年、アメリカのテレビニュースの
有名キャスターたちが
20年以上のキャリアにそろってピリオドをうった。
たとえば夕方ニュースの顔も、
それぞれの事情で番組を降りた。
NBCのトム・ブロコー氏は
別の人生を歩みたいという理由で、
CBSのダン・ラザー氏は
誤報問題の責任をとらされる形で、
ABCのピーター・ジェニングス氏は、
肺がんにかかったことを告白してスタジオを去った。
20年以上変わらず夕方ニュースの顔だった3人が
一斉に退いたことに、
みな偶然以上の何かを感じとろうとした。
彼らが番組を去り、あるいは亡くなったとき、
各テレビ局は、長きキャリアを振り返る特別番組を、
夜のゴールデンタイムに組んだ。
彼らがいかに歴史の舞台に立ち会ったか、
どれだけ世界の要人にインタビューしたかを映像で見せ、
偉大なジャーナリストだったと関係者に語らせた。
それは少しばかり大仰だったとしても、
ひとつの時代を築いたテレビマンへの、
最後のはなむけとしては悪くないものだった。
ところが25年間夜の顔だった、テッド・コッペル氏は、
まったく別の幕の引き方をする。
アメリカには
全国ネットの夜のニュース番組がほとんどない。
CNNなどの専門チャンネルは
24時間ニュースを流しているが、
地上波の3大ネットワークに限って言えば、
夜は11時からローカル局が
地元のニュースを流しているものの、
全国ネットのニュースを放送しているのはABCだけ、
テッド・コッペル氏の『ナイトライン』に限られていた。
インタビューの中で、私がその驚きを口にすると、
彼は微笑んで言った。
「不思議なことではありません。
コメディ番組を放送すれば、
もっとお金を儲けられるからです。
日本も同じだと思いますが、
テレビネットワークは民間企業で、ビジネスなのです。
もし儲からないと思えば、
その番組を長く続けはしないでしょう」
実際、『ナイトライン』も存続の危機に立たされた。
ことの起こりは、ABCが『ナイトライン』を打ち切り、
CBSのトークショーの司会者、
デイビッド・レターマン氏を39億円で引き抜いて、
新しい番組を始めようとしたことだった。
2002年3月に、いきなりこの動きが報道され、
ABCニュース内部は大騒ぎになった。
3大ネットワークが編成している、
夜のローカルニュースは
11時から11時35分まで。
それに続けて、CBSは11時35分から
トーク番組『デイビッド・レターマンショー』を放送し、
NBCも同じスタイルのトークショーを流している。
政治家や俳優、ミュージシャンまで、
有名人はこうしたトークショーに喜んで出演するし、
その視聴率競争はタブロイド紙の格好のネタだ。
ところがABCだけは、11時35分から
硬派のニュース番組『ナイトライン』を
30分間放送してきた。
ABC首脳は、ナイトラインを打ち切って、
よりコマーシャル収入を稼げるトークショーを
始める計画を水面下で進めていたのだ。
渦中のテッド・コッペル氏は
まったく知らされていなかった。
テッド・コッペル氏は、淡々と振り返った。
「私は『ナイトライン』の編集長と一緒に、
ABCの経営陣に会いに行きました。
それは2001年のことです。
我々の提案を見てもらうためでした。
我々は、5年契約が切れるまで
時間がある今から
後任にバトンタッチする準備を
始めたいと思っていました。
私は自分の後継者が成長するのを助ける。
週5日の番組のうち、私が3日やり、
じきに2日、1日と減らしていって、
最後は完全に引きつぐというものでした。
ですが、結局、経営陣は
それを望んでいないことがわかりました。
『ナイトライン』の代わりに、トークショーを
始めようとしていたのです」
これに対して、ABCの報道番組のキャスターたちが、
こぞって反対の声明を発表、
テッド・コッペル氏自身はニューヨーク・タイムズ紙に
「『ナイトライン』は去る運命にあるかもしれないが、
ネットワークニュースの必要性がなくなることはない」
との文章を寄せた。
問題はABCの外にも波及した。
CBSのキャスター、ダン・ラザー氏が
打ち切り反対の投書を寄せるなど、
良質なニュース番組を残すべきだ
という世論が次第に広がった。
結局、この騒ぎに嫌気がさした
司会者のデイビッド・レターマン氏が
「コッペル氏が望むだけ、
『ナイトライン』を続けるべきだ」として、
CBSとの契約を延長したために、
この動きは立ち消えになった。
テレビ局の利益追求の流れは、
1980年代から顕著になった。
相次ぐ規制緩和によってテレビ局も
買収の対象になったためだ。
さらにケーブルテレビの普及によって、
3大ネットワーク離れが進み、
ウォール街では
「3大ネットワークは(絶滅する)恐竜になる」と
ささやかれた。
1996年には、
エンターテインメント会社のディズニーが
ABCを買収する。
そのディズニーは9・11同時テロで
テーマパークが不振に陥り、
ABC首脳はさらに利益を上げることを求められていた。
『ナイトライン』打ち切り騒動の時、
ABCはこうした状況に置かれていたのだ。
テッド・コッペル氏は、
この時の苦い思い出も穏やかに語った。
そしてニュース番組と視聴率について訊ねると、
ゆっくりと口を開いた。
「ニュース番組は視聴率を考えるべきではありません。
ですが、もし数字がとれないニュース番組を
そのままにしておけば、
経営陣は親会社、株主から解雇されるでしょう」
数字がとれそうにない、
ある意味もっとも地味な内容の特別番組を組んだのも、
テッド・コッペル氏の『ナイトライン』だった。
2004年4月30日に、映像は一切なし、
顔写真と人の名前を読むだけの番組を放送したのだ。
その時までに、イラク戦争で亡くなり
身元が確認されている兵士721人全員の名前を、
テッド・コッペル氏が読みあげた。
通常の30分の枠を10分延長、
『ザ・フォーリン(戦死者たち)』
というタイトルがつけられた。
イラク戦争開戦からほぼ1年がたち、
国をあげて戦争を後押しする空気が
明らかに変化し始めていた時だった。
ニューヨークのタイムズ・スクエアの大画面にも、
番組は映しだされた。
色とりどりのネオンがひしめく喧騒の中で、
兵士たちの顔写真がつぎつぎと現れるさまに、
人々は足をとめた。系列局の中には、
反戦報道だと放送を拒否するところも現れるなど、
この番組は全米に賛否両論を巻き起こした。
最も『ローキー』なはずの内容が、
何より強いメッセージを発することになったのだ。
テッド・コッペル氏は言う。
「このアイディアは、ベトナム戦争からきました。
たしか1968年だったと思いますが、
雑誌『ライフ』がベトナム戦争でなくなった
兵士の写真を掲載し、大きな衝撃を与えました。
イラク戦争でも同じ事をするべきだと考えたのです。
なぜならアメリカ人は、
息子や娘、夫や妻、弟や妹が戦争に行ってない限り、
自分たちがイラク戦争で大きな代償を払っていると
思っていなかったのです。
ほとんどのアメリカ人は、
イラク戦争で何も失っていません。
戦争がひどく特別な状況であること、
多大な犠牲を払っていることを、
メディアが時に人々に思い起こさせるのは
とても大事なことだと思います」
2005年11月、
テッド・コッペル氏最後の日の番組は、
普段どおりに始まった。
そして過去の功績をいっさい振り返ることなく、
10年前に放送した、
ただひとつのインタビューをとりあげた。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気で亡くなった、
モリー・シュワルツという大学教授への
インタビューだった。
ALSは、体中の筋肉が衰え、
最後は呼吸ができなくなる病気で、
イギリスのホーキング博士が、
かかっている病気としても知られる。
そのシュワルツ教授が
死に向かう途上で何を考えているのか、
テッド・コッペル氏が、
当時3回にわたって話を聞いた映像を
最後の日にあえて放送したのだ。
コッペル氏は「番組の歴史の中で、
アンコールの声が最も多かったインタビュー」
だと説明し、
「当時、ABCの幹部が放送を
最も嫌がったインタビュー」
であるとも、わざわざ付け加えた。
(その後、番組を観た新聞記者が
シュワルツ教授に聞いた話をまとめた
『モリー先生との火曜日』がベストセラーになった)
アメリカ人は、いやアメリカのテレビは、
と言うべきなのかもしれないが、日常生活から
死の香りを極力排除しようとしているように思える。
友人であるアメリカ人のテレビマンは
「人間はいずれ死ぬのだから、
テレビであえて暗い面を見せる必要はない」
と解説した。
テッド・コッペル氏は言う。
「もし、すべてのテレビニュースが
視聴者の最も見たいものしか流さなくなったとしたら、
民主主義は弱まると思います。
なぜなら人々に正しい情報が伝わらなくなるからです」
番組は、死に向かうシュワルツ教授の声を淡々と追った。
コッペル氏降板のあと『ナイトライン』は、
新しい3人のキャスターが切り盛りする
スタイルとなることが、すでに発表されていた。
彼はそのことに触れ、番組をしめくくった。
「キャスターが代わることなど、
テレビの歴史の中ではたいしたことではありません。
ただ新しい『ナイトライン』を見続けてください。
なぜなら新しい『ナイトライン』が成功しなければ、
ネットワークテレビは代わりに
コメディ番組を放送するからです。
そうなったときに困るのはみなさんです。
ここ、ABCニュースからお伝えしました。
おやすみなさい」
“ローキー”という言葉は、私に、
あるフレーズを思い起こさせる。
『真実は小さな声で語られる』
テッド・コッペル氏は
最後まで変わらず、穏やかな口調だった。 |