日本文学研究者で、日本に帰化した、
92歳のドナルド・キーンさん。
日本人を知る旅、最終回です。



キーンさんの見た玉砕[5]

戦後、キーンさんは
ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をとり
日本文学の研究に没頭していた。
そんなある日、1冊の本が届く。
戦争が終わってすでに50年が過ぎていた。

作家・小田実が書いた小説『玉砕』。
舞台は、太平洋戦争の激戦地、ペリリュー島。
この4月に天皇皇后両陛下が慰霊に訪れたことで
その名前を耳にした人も少なくないだろう。
この島は「忘れられた島」とも呼ばれる。
戦いの壮絶さの割には
あまり取りあげられることがなかったためだ。

1944年9月に始まったペリリュー島の戦いは
およそ2か月半におよび、
日本軍はほぼ全滅、死者は1万人にのぼった。
一方のアメリカ軍が受けた
ダメージもすさまじい。
死者は1800人ほど、負傷は8000人、
何より、精神に異常をきたした兵士が
数千人いたとされるほど
日本軍のゲリラ戦は米兵にとって恐怖だったのだ。

キーンさんはこの小説を読み
自分から英訳したいと申し出る。

「なぜわざわざ英訳をしようと思ったのですか?」

「不思議なことでした」
とキーンさんは言った。

「『玉砕』という本が送られてきました。
 あとで小田さんに聞いたら、彼は
 私がアッツ島にいたということを知らなかったのです。
 何かの偶然だったんです。
 しかし『玉砕』と題名を見たら、私と関係がある。
 私は最初の玉砕の場にいたんですから」

「それはあのアッツ島でご覧になった
 日本人の玉砕が頭に残っていたのでしょうか?」

「そうでした」

キーンさんは大きく肯いた。

小説『玉砕』の中には、たとえばこんな描写がある。

 おれはほんとうにここでまさに、
 塵(ちり)アクタの死をとげる。
 塵アクタ(=ゴミ)のように殺され、
 この世から抹殺される。
 これが『玉砕』だと唐突に中村は思った。

 これらの負傷兵の必死の叫びやうめきとともに
 洞窟のなかでひそかに始まり、
 やがて大声で平気で重症の負傷兵が
 断末魔の息とともに言い出したのは、
 上官、戦友に対する
 『おれをこんな目にあわせたのはおまえだ』
 のたぐいの悪口、呪詛(じゅそ)だ。

キーンさんはこの小説を読んだ感想をこう語る。

「玉砕はどんなものだったか、小田さんは
 大変公平に書いていたと、私は思いました」

「どういう風に公平だと思ったんですか?」
と私は尋ねた。

「もっときれいな書き方があったでしょう。
 みんな友達のために、友達を助けるために
 自分が犠牲者になったとか、
 なるべく美しく書くでしょう。
 でも彼は本当に正直に書いたと思いました」

自ら命を絶つ、日本兵。
玉砕とはいったいなんだったのか。
アッツ島以来、頭を悩ませ続けてきた疑問が
初めて解消したと、キーンさんは感じたという。
玉砕という名のもとに死を強要された
日本兵の無念の思いを
戦後50年目に偶然届いた小説によって
知ることになったのだ。



それから16年たった2011年3月11日、
東日本大震災が発生、
その翌月の4月に、キーンさんは
突然、日本国籍をとることを発表して、
周囲を驚かせる。

震災の被災者のふるまいを目にして
キーンさんは作家の高見順が残した日記を
思い出したという。
高見順は、太平洋戦争のさなか
東京大空襲直後の上野駅で
全てを失った戦災者が、
それでも秩序正しく、健気(けなげ)に
疎開列車を待っている様子を見たときの
気持ちをこう記している。

「私の目にいつか涙が沸いていた。
 いとしさ、愛情で胸がいっぱいになった。
 私はこうした人々と共に生き、
 共に死にたいと思った」

想像を絶する津波の被害をうけながら
必死で耐え忍ぶ被災者たち。
そんな姿を見て、キーンさんは
自分も同じ気持ちになっているのを感じる。
そしてそれが、残りの人生を
日本人として生きる決意につながったという。

インタビューは2時間におよんだ。
一度も休まず語り続けたキーンさんの
深い、それでいて少年のような瞳を見ながら思った。
キーンさんのこれまでの人生は、
日本人を理解しようとする
長き旅だったのかもしれないと。
「日本は恐い国、美しい国」。
そんな思いを抱いた若き日には
まさか自分自身が日本人になるなんて
想像もしなかったに違いない。

それにしても、どうしてここまで
キーンさんは日本人に興味を抱いてくれたのだろう。
最後にそれを尋ねると、キーンさんは
「それはしてはいけない質問です」と言って
いたずらっ子のような目をした。

「もし人に会って、
 どうしてあんな女性と結婚したか、
 もっときれいな女性がいると、
 それは聞けないですよ」

「好きになるのに理由はないと?」
そう私が続けると
キーンさんは何も言わず、ただ微笑んだ。


(終わり)

2015-05-15-FRI
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