沖縄を描いたドキュメンタリーは少なくない。
でも『沖縄 うりずんの雨』はこれまでのものとは
一線を画しているように思えた。
2時間半近い作品が終わり、
試写室に灯りがともったとき
その理由に思い至った。
それは『加害』の側を描いているからだった。
この場合、構図でいえば
『被害』が沖縄の住民たち、
『加害』が米兵ということになる。
沖縄戦、さらには
アメリカの施政下にある時代を生き抜いた
多くの住民たちの痛切な声にも、
もちろん耳を傾けている。
でも合わせ鏡のように
加害の側である米兵も描かれているのだ。
スクリーンに釘付けになった場面がある。
1995年、わずか12歳の少女を、
米兵3人が暴行する事件が起きた。
これがきっかけで、沖縄の人々の怒りが燃え盛り
普天間基地返還の動きに
つながるきっかけになった事件だ。
その加害者3人を
監督であるジャン・ユンカーマン氏は探す。
彼にとって、3人は同じアメリカ人。
日本の少女を暴行した米兵を
アメリカ人監督が追いかけたのだ。
その結果、わかったのは
ひとりはふたたびレイプ事件を起こして
その後、自殺していたこと。
そしてもうひとりは取材拒否。
最後のひとりがカメラの前で証言する。
「今もそのことを考えます。
服役中も独房で
彼女に謝ることができればと思っていました」
黒人の元兵士は絞り出すような声で語った。
「ぼくの人生は変わった。
彼女の人生はもっとひどく変えられた。
彼女は絶えず、事件を考え続けるのです。
ぼくも毎日そうだ。
あの時、暴走しなかったら、車に乗らなかったら
僕の人生はどうだったかと考える。
これまでの僕はどうなっていただろうと考える。
本当だ。罪を犯そうとは思ってなかった。
そんな必要はなかった。
何がそうさせたか分からない。
何を血迷ってしまったのか」
そしてさらに生々しい証言が7分にわたって続く。
ぼくも沖縄の取材を長く続けているが
あの暴行事件の加害者にインタビューを
しようと思ったことは一度もない。
女性への暴行事件となると、いつも以上に
被害者のことを考えざるをえないし、
特にテレビは、
家庭にダイレクトに電波が届くだけに
セカンドレイプという状況を
より生みだしやすいメディアと言える。
いつの間にか身についたそうした配慮が、
あの事件の加害者にあたろうという発想が
一度も浮かばないほど
ぼくを狭めていたのかもしれなかった。
そう思ったのは、
加害の側である元兵士へのインタビューが
沖縄の人々の苦しみや深い悲しみを
雄弁に伝えていたからだ。
もちろん被害者への配慮は必要だ。
だがそこに足をとられるがあまり
伝えるべき大事な何かを、
最初から放棄していたとすると、
もう一度立ち止まってみる必要があると思ったのだ。
それにしても、ユンカーマン監督は、
その微妙な領域に
なぜ切り込もうとしたのだろう。
試写室を出て、夕方の雑踏を歩きながら、
ぼくはそんな思いを抱いていた。
ユンカーマン監督が、
番組のゲストとしてスタジオに来てくれたのは
それから3週間後のことだった。
『沖縄 うりずんの雨』をもとに
沖縄の問題を考えようというというのが
番組の趣旨だった。
青い縞のシャツに、
茶色いベストという出で立ちの
ユンカーマン監督は
顎と口の周りに白い髭をたくわえ
大きな瞳は穏やかな光に満ちていた。
テレビの生出演を前に緊張して
前の夜はよく眠れなかったと言いながらも
いざ番組がスタートすると
そんな様子をいっさい感じさせないほど
あふれる思いを語ってくれた。
ユンカーマン監督は流ちょうな日本語を話す。
それは父親がアメリカ海軍の軍医として
在日米軍の基地で
働いていたこともあるためだった。
こうした日本との関わりがきっかけになって
広島を題材にしたドキュメンタリーで監督デビュー、
この映画はアカデミー賞の記録映画部門に
ノミネートされた。
その後も、与那国島でカジキマグロと格闘する
漁師を描いた『老人と海』や
日本国憲法の成り立ちとその意味を
数々の証言で描いた『映画 日本国憲法』など
日本を正面から見つめ続けた。
そんなユンカーマン監督が
少年時代を振り返って言う。
「父とは複雑な関係にありました。
ベトナム戦争のころに
父との間に距離が出来てしまったんです」
それはユンカーマン少年が
戦争に反発したからだ。
軍隊を信頼する父親がそれを嫌がり
関係は気まずくなっていったという。
そうした経験も、
基地問題をかかえる沖縄を舞台にした映画を
のちに作ろうと思ったことに
つながっているのかもしれない。
番組では、『沖縄 うりずんの雨』を紹介したあと
少女暴行事件を起こした元兵士の
インタビューを一部、放送し、
ユンカーマン監督に
聞きたかった質問をぶつけてみた。
なぜ加害の側のインタビューをとろうと思ったのかと。
彼は少し考えてから、口を開いた。
「レイプをした犯人というと、
モンスターという印象が強いですよね。
それは許せない行為だけど、モンスターではない。
インタビューした元兵士も当時は22歳。
まだものを知らない若者で
沖縄のこともよくわかっていなかった。
平凡な若者がやったことなんです。
モンスターならまだいい。
モンスターじゃないから、より深刻なんです。
同じようなレイプ事件が
たくさん起きているんです」
ユンカーマン監督は、言葉を選びながら
あの事件の加害者のインタビューを
取ろうとした動機をこう語った。
実際、米兵によるレイプ事件は
数えきれないほど起きている。
映画のなかで、アメリカ統治下の沖縄で
米軍の憲兵をしていた元兵士が
こう証言する。
「レイプは日常茶飯事でした。
アメリカ兵の間ではたいしたことだとは
思われていませんでした」
少女暴行事件を起こしたのは
決してモンスターではない。
そのことを伝えるために
加害者のインタビューを出したかった。
ユンカーマン監督の言葉を聞きながら
ぼくはスクリーンで見たそのインタビューに
底知れない怖さを感じた理由が
わかったような気がした。
いかにも善良そうな元兵士が
沖縄を、さらには日米両政府を
揺るがしたあの事件の様子を
とつとつと語っていたからなのだ。
このところ、
普天間基地の移設問題をめぐるニュースは
毎日のように伝えられている。
でも沖縄で起きたこと、
沖縄の人々がくぐり抜けてきた苦しみを
ぼくたちはまだほとんど知らないのかもしれない。
(続く) |