気仙沼のほぼ日便り

こんにちは、気仙沼のほぼ日のサユミです。
最近更新していませんでしたが、
来月に控えた「はたらきたい展」の
準備に追われておりました。
先日が気仙沼に着て、
かつて「東北の仕事論」でご紹介した方々の今の様子を訪ねたり、
写真家の齋藤陽道さんが、みなさんのお写真を撮ったりと、
短いながらも盛りだくさんの取材をしていきました。

東北の頑張っている事業者さんたちからは、
働くことへの、強い希望を感じます。

「会社をたたもうと思った事は何度もあるけど、
震災が起きてからは、あきらめたことなんか一度も無いよ」
とおっしゃっていた方もいました。
工場が再開できたこと、商品がまた棚に置かれたこと、
新商品ができたこと、従業員さんが戻ってきたことなど‥‥
みなさんの「うれしかったこと」を聞いてたら、
すごく明るい気持ちになれました。

「はたらきたい展」では、東北で頑張っていらっしゃる
事業者さんのお話も紹介される予定です。
6月6日からの「はたらきたい展」の会場は、
渋谷パルコミュージアムです。
ぜひお越し下さいませ!

先日、東京のほぼ日の
プライベートで気仙沼に遊びにきました。
(ちなみにですけど、東京のほぼ日は本社であり、
気仙沼のほぼ日は、いまのところただ一つの支社です。)

ちょうどその日は気仙沼の「おもてなし隊」のみなさんが、
はっぴを着て気仙沼駅に集合していました。

電車がやってくるのを、手を振り、旗を振り、大漁唄込でお出迎え!
大漁唄込を歌うのは、唐桑の大漁唄込保存会のみなさんです。
出船送りや、お祭りなどの時にも披露されている、
このあたりの伝統の歌なんですよ。

そして、我らがホヤぼーやも、
おもてなし隊と一緒にスタンバっていました。
ホヤぼーやは気仙沼を背負ってたつ、ゆるキャラ界のプリンスです。
前回のゆるキャラグランプリでは、堂々の東北一位に輝きました。
東京のほぼ日のみんなも、ホヤぼーやを応援しています

思わぬ歓迎に、も、すごく喜んでいました。

お客様をもてなしたい気持ちは、気仙沼市民みんなが持っています。
お客さんに喜んでもらえたら、もちろん私も嬉しいです!

そのあと、斉吉商店さんの「ばっぱの台所」でお昼をいただきました。
甘くてたのしいあんこのワークショップの会場にもなったこのスペース、
ランチ(要予約)が頂けるようになったんです!
くわしくは、斉吉商店さんのページをご覧ください。

この日のメニューは、
金のさんまに、すき昆布の煮物、あざら、あさり汁、
そして、ご飯をお茶碗によそっていただいて
海鮮の具を自分でかけるセルフ海鮮丼もあります。
つまり、基本的なメニューは
「季節ごとのおかずと海鮮丼」となっているそうです。

ばっぱの台所にいけば、和枝専務や、
ばっぱ(おばあさんの意味)こと貞子お母さんにも、
お会いすることができるかもしれません。
面白くて、気さくな斉吉家のファンになっちゃいますよー。

気仙沼にお越しの際は、おすすめです!

前回からお伝えしている通りですがと福島にいってきました。

金澤翔子美術館スパリゾートハワイアンズ
フラガールショー見学を終えた私たちは、
小名浜港のあたりを車で移動することにしました。

まず向かったのはハワイアンズと同じいわき市にある
いわき・ら・ら・ミュウ」という観光物産センターです。
建物がとてもきれいだったので、最近できたのかな?
と思っていたのですが、後から調べたところ、
もともとここにはこの建物があり、
震災時には2.7メートルの津波がきたようでした。

現在は、沢山の観光客でにぎわっていて、
津波の被害はほとんど感じられないほどでした。
ここまでの再建に尽力された方々が、
たくさんいらっしゃったのだと思います。

ここでは、ビジュアルだけでテンションが上がる、
いわきの郷土料理「ウニの貝焼き」が、
至る所で売られていました。
その名の通り、貝殻にこんもりとウニが盛られています。
おいしかったです。ぜひ、あれはまた食べたい……。

そのあと、私たちは、すこし北上して海岸線を進みました。
当然ですが、福島にも津波の被害があります。
海沿いにはまだまだ震災の爪痕が残っていました。

じゅんぺいが「気仙沼みたいですね」と話していて、
確かに、街が何も無くなってしまったようなこの光景は、
気仙沼の津波で被害を受けた地域と似ていると思いました。

きっと震災前には、福島らしい、海沿いの町の独特の風景があって、
それぞれの暮らしがあったんだと思います。
今それを知る事ができないのは、とても残念です。

そのあと、福島駅方面に向かい、
最後に立ち寄ったのが、駅近くのPICK-UPというお店です。
1階はおしゃれなアパレルのお店で、
2階にはギャラリーが併設されています。
私の友人でもある福島出身アーティストの佐藤洋美ちゃんの
コラージュ作品が展示されていました。
福島の自然や、名産の桃、おじいちゃん、おばあちゃんなどが
表現された作品には、福島のお店の包装紙、新聞などが使われていて、
彼女の福島の思い出がそのまま語られているように感じました。
しかしですね、このお店ほんとにおしゃれなんですよ……。
気仙沼にもこういう場所があったらなぁ……と、憧れてしまいます。
最後にPICK-UPの藁谷さん、洋美ちゃんと記念撮影をして、
福島の旅は幕をとじました。

思い返してみますと、
福島は、笑顔のすてきな人がたくさんいらっしゃいました。
おしゃれな場所もいっぱいあります。おいしい食べ物もたくさんあります。
あと、福島県は、すんごい広い。
東京都の6倍くらいの広さなんですよ!
おかげで、長い道中、これまで知らなかったの人柄を知り、
趣味、好きなタイプなど、たくさん話が聞けたことも良い思い出です。
福島には、まだまだ素敵なスポットがあって、
今回だけでは全然まわりきれなかったので、
また近いうちに行きたいなーと思っています。

3月20日、春分の日。
福島に行ってきました。
も東京から行くことになり、
は気仙沼から向かい、
いわき市のいわき駅で合流することにしました。
じゃ、まずはじゅんぺいから、
ご報告をおねがいします。
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こんにちは、じゅんぺいです。
なにかの取材でというわけではなく、
福島県を楽しむ旅に出てきました。

まず最初に行ったのは
書道家である金澤翔子さんの美術館
金澤翔子美術館」です。
福島県いわき市に東日本の復興を願い開設されました。

金澤翔子さんは一字一画に
ものすごいエネルギーを注ぎながら、
作品をお書きになられます。
NHK大河ドラマ「平清盛」の力強い題字を書いた方でもあります。
作品の目の前に来ると、思わず息をのむほど、パワーにあふれたものばかりです。

この美術館は広々とした和風のつくりで、良い香りがしました。
庭は手入れの行き届いた日本庭園が広がっていて、
心地よい時間を過ごす事ができました。
全部見終わった頃には
なんだか勇気とチカラが湧いてくるようでした。

次に向かったのは
スパリゾートハワイアンズ」です。
ここから、と合流します。
ほぼ日の乗組員が絶賛しているフラガールのショーを一度見てみたくて、
ショーの時間に合わせて行ってきました。

会場は本当にたくさんのお客さんがいらっしゃっていて、
ほとんどが福島県外から来た人たちでした。
みんながわくわくしながらショーを楽しみにしている、
その空気を感じるだけでも、なんだかわくわくしてしまいます。
ちなみに、お客さんは水着姿です。
私服でショーだけを見に来たぼくらは、
暑い気温とお客さんの熱気で汗だくで、ちょっと浮いてしまいました……。

フラの生演奏がはじまると、
たくさんのダンサーの人たちが元気よく登場しました。
そのみなさんが、ほんとうに笑顔なんです。

びっくりするぐらい笑顔で、楽しそうで、
こちらまで笑顔になります。
心が躍るってこういうことか!と思うほど、そりゃもう最高でした。

「来てくれてありがとう」という気持ちが
ダンサーのみなさんから言葉なしに伝わってきましたし、
たくさんの元気をもらえて、胸がいっぱいになりました。

途中でお客さんも舞台にあがって
踊りの振りを教えてもらい
一緒に踊るコーナーがあるんですが、
子どもたちがとってもかわいいんです。
大人たちもつられるように無邪気に踊っていて、
みんなが一つになる感じがすばらしかったです。

フラガールのみなさんは、終始笑顔で踊るために、
相当な稽古を積んできているはずです。
来てくれた人たちを喜ばせたいという気持ちが
踊り全体に溢れ出ていました。
パフォーマンスとして、とても素晴らしいショーでした。

帰ってすぐに映画の「フラガール」を見たのですが、
感動して泣きっぱなしでした。
この映画を見たら、もう一回ハワイアンズに行って
ショーを見たくなってしまいました。
きっと近々行っちゃうと思います!

さて次は海岸沿いを車で北上してから、
福島駅方面に向かいます。
次回はサユミさんにバトンタッチしたいと思います。

遠くからお客様がいらしたので、
一関→陸前高田→気仙沼とご案内をしました。

とはいっても、今回のご案内の企画は、
斉吉商店の和枝専務とアンカーコーヒーの紀子さんプロデュースでした。
このおふたり、気仙沼のおかみさん集団「つばき会」のエースとして、
矢野顕子の音楽の稽古場の「おいしい打ちあげごはん」を
仕切っていただいたこともあります。
信頼と実績のつばき会! まさに気仙沼おもてなしのプロであります。

ということで、私はお手伝いをさせていただいただけ……というより、
お客様に便乗して、おいしいものをただ沢山食べただけになってしまいました。
(そして、今回はそれを紹介するだけ! いいんでしょうか。)

まずは一関市、世嬉の一酒造さん併設のレストランで昼食。
自分ではっと(すいとんのようなもの)をちぎって
お鍋に入れていただく「手ぎりはっと膳」と、
名物の「果報もち膳」をみなさんでいただきます。
一関って、何百種類とお餅の食べ方があるそうで、
お祝いの席ではこういう「もち膳」が
ふるまわれるんだそうですよ。

で、果報もちっていうのは、お椀の中に萩の枝が一つ入っていて、
それが当たった人は幸運になれると、そういうものなんですが、
自分の食べたクルミ餅のお椀に、枝のようなものが……。
ガーン。お客様を差し置いて当たってしまうワタシ……!
黙っていたのですが、
お膳をさげにいらっしゃったお店の方が
「枝が当たった方はどちら様ですか?」とお聞きくださいます。
ひえー。なんだか申し訳ない!
「……あれっ!?もしかして、これですかね〜?」
などと、しらじらしく、自分から申し上げました。
当たると、世嬉の一酒造のお酒をいただけます。
嬉しいんですけどね〜、ああ、すみません。
この写真の表情にもこの微妙な心境が表れています。

その後、唐桑の盛屋水産さんのところへ。
船で、牡蠣とホタテの養殖いかだのあるところまで乗せていただくのですが、
なんと突然の雨!(しかも結構強い)
盛屋水産のおかみ、一代さんが大漁旗をババっと広げ、
みんなでその中に入って雨をしのぎます。
写真中央でカメラを見ている黄色のベストの方が一代さんです。
いつものことですが、この時の一代さんは、
このまま歌って踊れそうなくらいテンションが高かったです。

しかしなんだろう、この写真。味写?
右上のほうにウミネコがゆうゆうととまっているのがなんとも言えません。
大漁旗で雨しのぎというのは、なかなか見ない光景ですね。
これは良い思い出だねーなんていいながら、
養殖いかだにつく頃には晴れました。

その場で、むいた殻をお皿にして、牡蠣とホタテを頂きます。
すんごい身が厚くて、甘いんです。
海産物って、新鮮だと全然生臭くなくて、甘いんですよね。
気仙沼に着てから知りました。
ホタテの貝柱の繊維っていうんですか、
縦方向の繊維みたいなのを感じます。
牡蠣も甘いんです。
私、もともと牡蠣の生臭い感じが苦手だったんですけど、
いったい何で苦手だったんだっけ?と思うほど、
この牡蠣はおいしかった……。
あー、すでに、また食べたいです。

最後に、斉吉商店さんのばっぱの台所でご飯です。
こちらは、あんこのワークショップでも使わせていただいたキッチンスペース。
この日のお客様のために、ご飯を用意していただきました。

メニューは、今が旬のわかめのしゃぶしゃぶです。
わかめは、お湯にくぐらせると、茶色からきれいな緑色に変化します。
わかめはクニャクニャしていると思っているみなさま!
旬の生わかめはすんごいシャキシャキした歯ごたえなんですよ。
さっぱりしたポン酢でいただくと、またおいしくて、いくらでもいけます。

そしてさらに、出していただいたのが海鮮丼と、さんまのつみれ汁……。
うう、おいしい。気仙沼に来てよかったー!!!

と、このように、ご案内というのは非常においしい仕事なんです。
今回も、ごちそうさまでした。

私も気仙沼に来てからもう一年経ちました。
サユミちゃん太ったねという説もありますが、
それはしかたのないことなんですよ!!

さて、先日石巻に行ったので、私が寄ってみたかったもう一つの場所……
石ノ森萬画館に行ってきました。
こちらは、萬画家の故・石ノ森章太郎先生の作品を中心としたマンガ展示、
アトラクション、マンガ図書館などを兼ね備えた
アミューズメントパークのようなところです。

ここは北上川河口の中州に建っており、
高さ約5メートルの津波が押し寄せました。
さいわい、この宇宙船のようなフォルムの建物は残りましたが、
施設内は大きな被害を受けていました。
震災後閉館となっていたのですが、
このたび、3月23日にリニューアルオープンしたのです。

入り口には『ゴルゴ13』のさいとう・たかを先生、
『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげる先生など
そうそうたる方々のお花が飾られていました。

石ノ森先生といえば、
マンガの神様こと手塚治虫先生のアシスタントをつとめ、
トキワ荘グループとして、
仮面ライダーシリーズにサイボーグ009、
がんばれ!!ロボコン、人造人間キカイダーなどの幅広い作品を手がけ、
子どもたちのヒーローを数多く生み出した方です。

そんな石ノ森先生の作ったヒーローたちが「待たせたな!!」と、
入り口で迎えてくれました。
そこには「今こそみんなが、ひとつになる時」との言葉が書かれてありました。
そうですよね、ヒーローたちの世界では、
最後はみんなの力が集まって、正義が勝つんですよね。
力強い言葉がじーんと心にしみました。

受付のスタッフさんはサイボーグ003(サイボーグの紅一点)スタイル!
私がやや石ノ森先生にくわしいのは、
学生の時、このサイボーグ003の格好で、
萬画館の単発アルバイトをしたことがあるからなんです。
ちなみに着ますとね、なんていうか……
心もヒーローになれるんですよ。

別の階では、企画展として開催されていた
「シージェッター海斗」展も、見る事ができました。
ああ、これも、懐かしい!
海斗も、私が学生の頃に始まったプロジェクトです。
簡単に言うと、石巻のローカルヒーローなのですが、
原案は石ノ森先生で、石森プロが仕上げているので、
ひいき目を抜きにしても、クオリティが高いと思います。
地元のヒーローショーでも、子どもたちに大人気なんですよ。
震災時、外に展示されていた海斗は少しぼろぼろになっていましたが、
りりしい立ち姿にグッときました。

また常設展では、歴代仮面ライダーのマスクがずらりと展示されていたり、
仮面ライダーのサイクロン号に乗るアトラクションがあったり、
子どもだけでなく親御さんもかなり楽しいんじゃないかなと思いました。
私もヒーローたちに勇気をもらった気がします。

ところで、気仙沼と石巻は車があれば2時間弱なので、
遠くからお越しの方は、一緒に回ってみるのもおすすめですよ。

先日、石巻に行ってきました。
と、いうのも「ジェーン・バーキンさんが来るらしいよ」と聞いたのです。
かなりびっくりしました……。
もちろんお名前だけは存じ上げてますが、
まさかそのお姿を拝見する機会にめぐりあうとは! 想像だにしませんでした。

会場にはたくさんの人が集まっていました!
「俺らの青春のアイドル!」
「もう夢中になって聴いたんだから……」
列に並ぶ地元のおじさまたちの声が聞こえます。
みなさんの熱気になんとなく遠慮してしまい、私は最後に入場しました。
身動きが取れないほどのお客さんです。
かなり後ろのほうでしたが、ジェーンさんが登場すると、
みんな「見えた? 見えた?」と小声で報告しあってました。
ああ、このウィスパーボイスの優しい歌声。
まさしくジェーン・バーキンさんです。
さっきのおじさまたちも、もうすっかりアイドルを見つめる目になってました。

ミニコンサート終了後、メディア向けの取材時間がありました。
そもそも、ジェーンさんは震災直後にも来日し、
コンサートや募金活動など被災地へ想いを寄せる活動を続けてこられたそうです。
「ミニコンサートの30分間だけでも、
震災の辛さや苦しさではないことを感じてもらえれば」
と話すジェーンさん。
確かに……だって、あんなにみんな嬉しそうだったんですよ!
いや〜音楽って、ほんと、すばらしいですね……と、それ以上の言葉が出ません!
なんだか素敵な時間でした……。ありがとうございました。

さてその後、私は田代島に行って以来の石巻だったこともあり、
石巻市内にあるヤフー石巻復興ベースにお邪魔することにしました。
ご存知、Yahoo Japanさんが運営している事務所で、
「一方的に支援するのではなく、
地元の人と一緒に新しい石巻を作りたい!」という
コンセプトでお仕事を進めていらっしゃいます。
なんだか、それって気仙沼のほぼ日とちょっと似ているなぁ……と
勝手に親近感を持っているんですよね。
お会いすると石巻のいろいろなお話が聞けまして、
この日も今の街の復興状況や、
石巻の美味しいものや素敵な場所について、情報をいただきました。

それにしても、すてきなオフィスです!
とくに、キッチンスペースがあるのがうらやましいです。
(気仙沼のほぼ日でもマネしたい!)
ちなみにくつろぎスペースに置かれたかっこいいソファは、
近くにある石巻工房さんで作られたものだそうです。
石巻工房さんは、石巻市内に家具工房を構え、
ハーマンミラー社をはじめ、建築家、プロダクトデザイナーの方々と
地元の方々が協力して、地域のものづくりの場を運営しています。

さ、石巻では、あともう一カ所、
寄りたい場所があるんでした。次の更新に続きます!

たまに東京出張をしているのですが、
今回の出張では「やっぱ銀座だべプロジェクト」の
キックオフイベントに伺いました。
このイベントは、銀座の企業や商店の連合組織と
被災地の商工会議所のみなさんが、
震災復興に向けて行われている活動の一環で、
4月から新たなプロジェクトを開始するそうです。
会場には気仙沼から、気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭、
マグロ漁業会社 臼福本店の臼井壮太朗さん、
また、青森から福島まで、
復興に向けてがんばっている地域の方々もいらっしゃっていました。

このプロジェクトの大きな柱は
技術の相互共有ということですが、
たとえば、気仙沼で被災したお寿司屋さんが
銀座のお寿司屋さんのところで修行する、とか
銀座の職人さんが、気仙沼の漁師さんや魚市場の仕事を勉強しにいく、とか、
ある意味「交換留学」のようなものなのだそうです。

お寿司屋さんを例にしましたが、
このプロジェクトは、
発起人でもある実行委員長の阿川佐和子さんが、
被災した気仙沼のお寿司屋さんのお話を
お聞きになったことがきっかけなのだとか。
「家も、店も津波で無くなった。自分たちは『流され寿司』なんです」と、
話す寿司職人さんたちを、どうにか応援したいという気持ちが、
こういったプロジェクトを生んだんですね。
「みなさんもこのお寿司をきっかけに」と、
阿川さんからご挨拶がありまして、
銀座の久兵衛さん、とも樹さん、寿司幸さん、
気仙沼からは新富寿司さん、ゆう寿司さんが握るお寿司が振る舞われました。

銀座のお寿司屋さんは、薬味や食べ合わせに一手間加えたお寿司、
(イチゴとサーモン、というのもあってびっくり)
気仙沼のお寿司屋さんは、何と言っても新鮮なネタ、
フカヒレや、モウカの星(モウカサメの心臓)のお寿司など、
気仙沼ならではの珍しいネタを提供していました。

こんなみなさんの交換留学が始まったら、
いろいろ面白いことが起こりそうな気がしますね。

そこで「自分たちも何か協力をしたい!」と思ったイベント参加者は、
名刺を回収ボックスに入れる事になっています。
これでまた、気仙沼と銀座でつながるご縁があるんじゃないでしょうか。

最後になってしまいましたが、
私たちほぼ日がこうした会に出席させていただいたのも、
虎屋の黒川光博社長や気仙沼商工会議所の臼井会頭と、
気仙沼でお会いしたご縁がもとでした。
人との出会いって不思議ですね……。
だって、まさか、こうして銀座で、
昼間からこんなにおいしいお寿司をいただく日が来るなんて、
思いませんでしたよ……。

私も名刺を箱にいれさせていただきました。
これからのプロジェクトがどんな風に進んでいくのか、楽しみです!

3月11日、12日はや、東京のほぼ日メンバーと
気仙沼市内、陸前高田市内をまわりました。
これからのプロジェクトのことを話し合ったり、
震災後のお仕事について伺ったり、
お土産ツアーのような感じにもなりましたが、
結果、いろんな方々とお会いすることができました。
テキスト中継でもお伝えしたとおりです。

私は気仙沼にきてからちょうど1年ほどなので、
みなさんとのお付き合いもそれくらいになるのですが、
不思議と、昔から知っている人のように感じます。

「再開した」「新しく始めた」と、前に進んでいる報告を聞くと、
私までとても嬉しくて、月並みですが
自分も頑張ろうと強く思うのでした。

3月11日の気仙沼の夜空には3本の光の慰霊碑が立ち上がりました。
3月11日からのヒカリ」というプロジェクトで、
こちらは、少しお手伝いしていたこともあり、
光の柱がはっきりと立ち上がったのを見たとき、正直ほっとしました。
後から聞いたら、去年は見えなかったという遠くに住む人からも
見てもらえたとのことです。
まっすぐ天にのびる光は、ほんとにきれいだなと思いました。

気づけば、冬の凍えるような寒さも
だいぶやわらいできた気がします。
寒がり、根暗、そして「気仙沼のジャックナイフ」ことですが、
あたたかくなると、自然と明るく、行動的になれます。
私も、張り切って前に進んで行きたいと思います。

ここ数日は、報道関係者が、気仙沼にもたくさんくるようになっていて、
私も、普段とは違った心持ちになっているみたいです。

2011年の3月11日は、
今の前職にあたる東京の職場で、テレビを見ていました。
私は、宮城県の松島の出身で、両親は石巻の出身です。
学生時代は仙台にいて、東北や関東の友人がたくさんいました。

良く知っている街が津波で押し流される映像が、
テレビから流れてくるのを見て、
これは、もう覚悟をしようと思いました。
大切な人は死んでしまったかもしれないけれど、今自分は生きている。
頑張って生きていかなければならないぞという気持ちでいました。
幸い家族が無事であったことは、しばらくしてから分かりましたが、
無理してそう思わなければ、時間をやり過ごせなかったのだと思います。

それからは自分も含めて、
ただ偶然生きていただけなんだなぁと思うようになりました。

2012年の3月から、私は気仙沼に住民票を移しています。
被災地と被災地でない場所では、
3月11日の過ごし方も、違うと思います。

たとえば、気仙沼の人と話していると
「3月11日が近づいてくる」というように、
「3月11日」をひとつの名詞として使っているときがあります。

その時、当然のように、3月11日=震災の日として意識して、
言葉を使っているのですが、3月11日は、誰かの誕生日や、
誰かの特別な記念日でもありますよね。

被災地では多くの方の命日なので、
街も人も、遠くから被災地に来ている方も、
きっと静かに過ごすことになると思います。
とはいえ「この日は誰もが絶対に静かに過ごさなければならない」
というものではないとも思います。
大きな自然災害が起きたときには、人ごととは思えない気持ちになりますが、
縁の遠い土地で災害の起きた日が何月何日だったか、
という意識は、私もあまり持っていません。

そういった温度差があることは普通です。
被災地の同じ街の中で、同じ震災を経験していても、
津波で家や職場を流された人とそうでない人、
大切な人を無くした人とそうでない人、
被害の程度によって、温度差はあります。

これからも被災地で生きていく人たちには、様々な想いや考えがあって、
誰かが良いと思う事には必ず反対意見もあるので、
その是非は一概には言えません。
そんな中で、どうやってみんなの街を取り戻していくのか、
という課題はほんとうに大きく、
考えただけで途方にくれることもあります。

ただ、希望を持つとしたら、
みんなが共通して同じ方向を見て進むことができれば、
大きなパワーになるんじゃないかということです。
ほぼ日でも、これまでたくさん紹介してきた、
被災地に住む力強い人たちが、一緒に頑張っていけるような、
すごくポジティブで、長く頑張っていける共通の動機があるとすれば……
それは「楽しい」という気持ちなのかもしれません。

楽しいことは続けられますし、楽しいことには人が集まってきます。
「楽しい」を共通の動機とした復興は、
きっと進めていくのも楽しいだろうと思います。

気仙沼のほぼ日は、そんな楽しいことが実現できるように、
自分たちのできることをしていきたいと思っています。

長くなってしまいましたが…
今日は、東京のほぼ日メンバーと、
気仙沼の人たちと、いつものように気仙沼にいます。
その様子はこちらで中継しています。