南北に細長いマンハッタン島。
そのほとんどはキレイな碁盤の目。
すべての通りに名前が付いてて、
通りと通りの交差点を起点に移動をしていけば、
はじめての場所にもすんなり行ける。
都市計画が行き届いた、
あたらしい街ならではの便利を享受できる街並み。
ところが、南に向かっていくと街はどんどん古くなる。
マンハッタン島の先端にある港を中心にしながら
発展したニューヨーク。
道路も狭く馬車の幅。
曲がりくねって、
いろんなところに行き止まりのある
まるでロンドンみたいな街並み。
ウォールストリートなんて、
マンハッタンが襲われぬよう
砦があったところだったりした場所で、
はじめての人にはとっつきづらい街。

ボクらをのせたタクシーは、
その南に向かってノロノロ走る。
10分くらいも走りましたか‥‥。
トルコ系じゃないかなぁ‥‥、
眉毛と眉毛がつながりそうなドライバーが、
どこで曲がろうか決めかねている。

「そこじゃなくて、2つ先を右に曲がって、
 まっすぐいったら
 三叉路を左にまわったところで止めて」
と、ボクは言う。

あら、あなた。
このあたりにはやけに詳しいのネと母がいう。
そりゃそうだ。
ボクが住んでるアパートから、
2ブロックほどしか離れてない場所なんだから。
ただ、その母の質問には答えずに、
「さぁ、ついたよ‥‥、この店だ」。
車を降りて目的の店の前に立つと
入り口の前にゲートガードが立っている。
当時、ニューヨークのおしゃれな大箱レストランでは、
入り口のところにディスコよろしくガードを立たせ、
お店にやってくる人をチェックするのが流行ってた。
人気のある店の前には長い行列。
予約のとれなかった人たちや、
あるいは大抵そうした店にあるバーコーナーで
スタンディングで飲んでつまんでたのしもうという、
人の行列。
その日のそこも30人ほどが
並んで待っていましたか‥‥。

坊主頭で、秋というのに半袖の黒いTシャツ。
太ももみたいな腕で袖をパツンパツンにさせた
プロレスの人みたいなガードが、
なぜだかこちらに飛んできて、
「ミセスサカキ、お待ちいたしておりました‥‥」と。
母の手を引き、ドア、開ける。
インチキフラメンコダンサーのような東洋人が、
満席だからと待たされている人を尻目に
お店に招き入れられるという、ステキなシアワセ。
「あのコンシエルジュ、
 いい仕事をしてくれたわねぇ‥‥、」と言う母。
実はあなたのその格好が、
一番いい仕事になってるんだよ‥‥、
とボクは思うけど、口が裂けてもいいはしない。
調子にのっちゃう母が怖いから。





お店に入ると、入り口のすぐ横に大きなバーがあって
おしゃれな人がエントランスホール周りにまで溢れてる。
その人ごみの向こう側にレストランがあるのだけれど、
その人の壁がササッと割れて、
ボクらは自然と奥へ奥へと、いざなわれていく。
目立つだけでなく、この店に
「ウェルカムされている」装い。
レストランとは、
「来てほしいお客様に対してやさしく明るい」
空間なのです。

とりあえず、見た目はウェルカムされたボクたち。
コンシエルジュ氏が言ってた通り、
大きな長いテーブルの真ん中の席に案内される。
両側にはスッカリくつろいで食事をたのしみはじめてる、
陽気なグループ客が一組づつ。
テーブル席は見事に満席。
いろんな人が集まっていて、けれどみんなお洒落で
しかもニコニコしながらお酒を飲んで食事をたのしむ。
その食事。
売り物は寿司、というコトではあるけれど
にぎり寿司のようなモノが出ているテーブルは
ひとつとしてなく、ほとんどがロール寿司。
それも海苔でまかれず裸のまんま。
ソースが上からかかったり、刻んだ野菜や
崩したトルティアチップのようなモノが散らかる
カラフルなお皿が並ぶ。
たしかに日本の頑固な寿司の職人だったら、
星一徹のごとき勢いで
お皿をヒックリ返したくなるであろう、
色とりどりの料理ばかりで、
なるほどこれが、南米風の寿司というコトなのでしょう。

マネジャーらしき人がやってきて、ボクらにたずねる。
「私たちのお店のことを、
 どうやってお知りになりましたか?」って一言。
母は事情を説明します。
ホテルのコンシエルジュから
紹介された寿司屋にいったコト。
そこで不機嫌な寿司を食べて、不機嫌になったコト。
不機嫌な寿司の癖して、それは十分おいしくて、
それでますます不機嫌になってしまったコト。
なにより、私がそんなお店のコトを
好きなんじゃないかと
コンシエルジュが思ったコトを思うと
どうしようもないほど悔しくってしょうがなかったコト。
その不機嫌な寿司屋にココの話を聞いたの。

繁盛してるけど、
ニューヨークでしか通用しない店があるんだ‥‥、って。

でもそれってね、「ニューヨークにしかない、
だからニューヨークにきたら行かなきゃ損するお店」
だって、言ってるコトに他ならない。
それでワガママを言って予約をとってもらって、
それでこうしてやってきました。
来たら、なんてステキなコトでしょう。
日本でも食べるコトができないお寿司がこんなにもある。
しかもそれらがこんなにみんなに愛されている。
お寿司を生んだ日本人として、
こんなにうれしく誇らしいことってあるでしょうか?
と。

どんなレストランにおいても
「たのしんでやろう」
と思う前向きな気持ちがなくては、
たのしませてもらうコトはむつかしい。
母がマネジャーにした顛末に、
ボクらは一瞬にして
「たのしませてあげたい客」として受け入れられた。
ボクらを挟む2組の人たちからは握手とハグを求められ、
マネジャーは「当店でおすすめの寿司を
食べていただけますでしょうか?」
と張り切って、厨房の中に指示をだす。

お寿司はどれもエキゾチックな味がしました。
日本の寿司とはまるで違っていはしたけれど、
ハラペニョと一緒に食べるまぐろの甘くて鮮烈な味。
南米料理のセビーチェの
みずみずくて風味豊かなロール寿司とか、
パプリカをピュレ状にして
ハマチのタルタルをあえて軍艦巻きにしたのとか、
どれも風味豊かで食べ飽きない。
日本の寿司って、
醤油の味に甘えてしまっていたのかも‥‥、って。
そう思うほど、その寿司の味わいは多彩で鮮やか。
勧められて飲んだモヒートが、すすんですすんで、
グイグイたのしくなっていく。
ボクらがニューヨークにしかない
そうした寿司をどう感じるのかを
聞きたくてでしょう‥‥、
同じテーブルを囲む人たちばかりか、
いろんな人がやってくる。
そして、「結構、いけるよ」っていうと、
まるで自分が褒められたかのような
それはそれはうれしそうな顔をして、
自分のテーブルへ帰ってく。
街の料理をほめられるコト。
それは、そこに住んでいる人のコトも
褒めているコトになるに違いない。







その店のコトをココロからたのしみ愛すというコトは、
その店で働く人のみならず、
その店を選んでそこにいる他のお客様のコトも愛して、
褒めるコトになるんだというコト。
互いが互いを褒め合いたのしむ。
気づけばひとつのテーブルで
おさまりきらないたのしさや、
ひとつのテーブルで独占するのが
もったいないほどのたのしさを分け合うステキな空間に、
ボクらは身を置き
この上もないシアワセな時間をたのしんだ。

お腹も膨れ、そろそろホテルに帰らなくちゃネ‥‥、
というそのときに、
母の隣で食事をしていたラテン系でありましょうか。
陽気なご婦人が母に聞きます。
「どうすれば、そんな若いご主人と
 出会うことができるんですの?」と。
母は思わず立ち上がり、ボクの肩を抱きしめいいます。
「あら、この子は私の息子ですわ‥‥、
 主人は日本で私のために、
 一生懸命働いてくれていますの」と。
そんな風にはまるで見えない。
なんて若くて、キレイなんでしょう‥‥、と、
みんなに言われて母はウットリ。

今度は眠れない方の時差ボケになっちゃったみたい。
どこかでコーヒー、飲みましょうよ‥‥、と、
ボクらはお店を後にする。



2011-11-10-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN