まだスターバックスなんてない時代です。
当時のアメリカで、コーヒーといえば
お水の代わりにハンバーガーを流し込むモノ。
そうでなければ、会議の途中に
手持ちぶさたな片手を満足させるモノ。
コーヒー専門店なんて、数えるほどしかなかった時代。
当然、夜中にコーヒーを‥‥、
ってコトになったらファストフードか、
ファミリーレストランみたいな場所にいくしかなかった。

そうしたお店の夜は物騒。
母をそういうところにつれていきたくなかったボクは、
母にいいます。

ボクの部屋でよかったら‥‥、って。

タクシーを止めなくっちゃネ。
部屋に向かう途中でお花屋さんがあいてたら、
お花を買うわ。
お呼ばれしたら、お花の一つももっていかなくちゃネ‥‥、
はしゃぐようにして車道に向けて手を挙げる母。

その手を制して、ボクはいいます。

こんな時間に開いてる花屋さんなんて、多分、ないよ。
それにネ。
ボクの部屋はココから歩いてすぐなんだから。
途中に花屋は一軒もない。

あら、だからこの界隈のコトを詳しかったのネ。

うん、それに、おかぁさんにかなうお花は
どこにもないから‥‥、って。

「よくできました!」と右手を差しだし、
エスコートしてちょうだいなという母の手をひき、
ボクは自分のアパートにつく。
古い建物。
5階建てでエレベーターもなく、
外には鉄の階段が窓を避けるように斜めにかかる。
まるでウェストサイドストリーの舞台みたいネ、
と母は無邪気に喜んだ。
けれど狭くて暗い階段を4階までいき、
部屋に入るのに4つの鍵を
ひとつひとつ、あけていかなきゃいけないのをみて、
「ニューヨークってタフでなくちゃ、生きてけないのね」
って、妙に神妙な面もちで、ボクの部屋の中をうかがう。

小さな部屋です。
ワンベッドルーム。
日本風にいうと1LDKとなりますか。
クロゼットのついた小さな寝室に、
キッチンつきのリビングルーム、
バスタブなしのシャワーとトイレ。

それにしても不思議な部屋ネ‥‥、
って部屋に入って母がいう。
それもそのはず。
リビングルームのほぼ半分が
キッチンという部屋だったのです。





ボクの前に住んでた人が、改造をして
レストランのキッチンみたいなフルスペックの厨房設備。
部屋の真ん中に調理台をかねたカウンターが
ドンとおかれて、他にあるものと言えば
小さなソファに、壁一面の本棚という、
まるで料理研究家になったみたいな気持ちになれる
へんてこりん。
さすがに好んで住もうという人もなく、だから格安。
家具までついて、おどろくような値段で借りられた。

生活をスタートするのに必要だったのは、
タオルやシャンプー、それから台所のためのモノだけ。

食事がおいしく感じる限り、あなたは絶対大丈夫。

そう言う母の言葉を信じて、
ボクはおいしく食事ができる環境を一生懸命整えた。
最初は鍋や包丁、それから最小限の食器を買って、
徐々にそれを増やしていった。
作りたい料理に合わせてたとえばパン切りナイフや、
ベーグルカッター。
肉を焼くためのスキレットとか、
スープをひくための寸胴鍋。
一ヶ月もたつとボクのキッチンは
本当にレストランのキッチンみたいな姿になった。
友人もちょっとづつ増え、
週末、彼らはボクの部屋に集まり
食べて飲むコトが多くなった。
食器を買います。
実用的で積み重ねのきくお皿やグラス、
マグカップなんかが次々増えて、
調理台の片隅がそれらの食器の定位置になる。

「お友達がよくくるの?」
食器の山をみた母が、ボクに聞きます。
「うん、週末は結構、にぎやか‥‥、たのしいよ」って。

「私のスプーンの出番はまだまだないようネ」って。
母がポツリと声にします。

うん、まだ大丈夫。
でも毎日、磨いてるよ。
作業台の真ん中に、籐製の籠にナプキンしいて、
そこにナイフフォークにスプーンを包んでおいている。
毎朝、これを布でくるんで磨いてやると、
あぁ、今日も元気に笑顔でがんばらなくちゃ‥‥、
って豊かな気持ちになってくるんだ、ありがとう。

ミルクパンにほんの少量、ミルクをわかす。
自宅でコーヒーを飲む習慣がボクにはなくて、
コーヒーと言えば食事のあとに
どうしてもコーヒーの匂いが必要っていう友人のため、
インスタントコーヒーがおいてあるだけ。
それをおいしく。
母の好みにのめるよう。
お湯を沸かしてカップをあたため、
わかした少量のミルクに粉のコーヒー、混ぜる。
良くとかしたら、茶こしで一旦、それを濾し、
再び手鍋に戻して冷たいミルクを注ぐ。
そしてゆったり。
沸騰させぬようにあたためる。






アメリカに来て、いろいろ感謝をすることばかり。
母はボクが子供の頃から、二つのコトを必ず守れ‥‥、
と口が酸っぱくなるほど言ってボクらを育ててくれた。

人にあったら必ず自分から挨拶すること。
人間関係は先手必勝というセオリー。
アメリカに来て、それで本当に得をした。
たとえばレストランにやってきて、
ぼんやりしててもお店の人が
あれこれ気を使ってくれるのが日本という国。
ところがアメリカ。
自分からなにをしたいか、
意思表示をしないとなにも起こらない。
仕事もそう。
友人作りもまさにそう。
待っていては何もはじまらぬ国がアメリカ。
おかぁさんが世界中で、
いろんなたのしい思い出作りができるのが、
不思議でしょうがなかったけれど、
先手必勝がその秘密だったんだ‥‥、って心底思った。
今の仕事をもらえたのも、
多分、そうした考えが
染みついていたからじゃないかって思うくらいだよ。

それからネ。
何に対しても丁寧につきあいなさいって、教えてくれた。
こうしてコーヒーを作っていても、
ひとつひとつの仕事をきれいに丁寧に、すれば絶対、
おいしくなってく。
それを飲ませてあげる人のため。
どんなコトでも決して雑にしちゃいけない‥‥、
ってコトが本当に大切だって、
一人暮らしをはじめてしみじみ、思い知ったよ。
仕事も、人間関係も同じコトなんだネ。
ありがとう。

そろそろコーヒーも飲み頃と、火を止めた途端、
母がボクの背中を抱いて、そっと言います。

「あぁ、ワタシの息子。がんばったのネ‥‥、
 うれしいわ」、と。

つのる話はまだまだ続く、また来週。



2011-11-17-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN