お父さんは一時期、随分、弱っていたわ。
息子がいなくなった以上に、
自分の仕事の右腕をなくしたんだ‥‥、
ってしばらく食欲なくして痩せた。
あなたの消息がわかった途端に、以前以上に食欲がでて、
あいつがかえってくるまで
オレがひとりでがんばるんだって、スゴク元気。
それでもたまに、相談相手がほしいみたいで
ちょっと寂しくしているけれど‥‥。
妹たちはあなたの味方。
暴君的なおとうさんが悪いのよ‥‥、って、
だからお父さんは家の中では小さくなってる。
私は元気よ。
ただお料理を作るとき、
5人分を作っちゃうコトがいまだにあって、
ちょっとさみしくなるくらい。

そういいながらコーヒーを待つ母。
カウンターの上にカップを準備するボク。
まずは一個。
カウンターの上にいくつもぶら下げていたマグを一個、
とって置く。
それから小さな食器棚の中に入ってるコーヒーカップを
揃いのソーサーと一緒に一個。
その両方をミルクコーヒーで満たしてマグをボクがとり、
コーヒーカップを母の前に出す。

あら、このカップ。

白地に赤色の幾何学模様の入った磁器製。
透明なうわ薬がかかってキラッと光ってみえる、
男の部屋には似つかわしくない、
瀟洒で小さなコーヒーカップ。
もち手も小さく、タップリコーヒーで満たすと少々重たく、
だから自然とソーサーと一緒に持ち上げ
飲みたくなってしまうモノ。

うちのポーセリンに似てるわネ‥‥、と。





実家にいた頃。
家族5人で食事をするのは、週に何度もないコトだった。
父がそもそも旅がちな人。
子供たちも大人になると学校だったり、
それぞれ仕事があったりもしてだから普段は夜は別々。
ときたま、みんなで一緒に夕食をとったあと。
食事を終えると、母がみんなに
「ポーセリンを用意して」って言うのがならわし。

ポーセリンっていうのは「磁器」を意味する英語で、
たしかにボクらが用意するものは磁器のコーヒーカップ。
日常使いの陶器でできたやわらかいカップとちがって、
セットになったカップとソーサーが触れ合うたびに
カチリと明るい音がする。
なんでそれをポーセリンって
ボクらが呼ぶようになったかは、
誰も覚えちゃないけれど、
でも、みんなはポーセリンのコーヒーカップと
ソーサーをもち、コーヒーをそこに注いでもらって、
リビングルームに集まるのです。
上等な食器をコーヒーで温めながら、
みんなで近況報告をする。
小さなカップはすぐに軽くなっていく。
コーヒーを満たしたポットを、
手渡ししながら注ぎ足し
たのしい話を花を咲かせる家族の時間。
その象徴が、磁器のカップでそれに似たのを探して買った。
1客分だけ。
それだけじゃなく、ディナー皿やスープボウルと
ひとつづつ。
上等な食器をかって、くじけそうになったときや
ちょっと特別なコトがあったときに
それにふさわしい料理を作る。
上等な食器に盛りつけられた
上等な料理をたべるのにふさわしい、
上等な装いをして背筋を伸ばして食事をする。
気持ちがシャンとしてくるんだよね。
今日は特別なお客様がココにやってきてくれた
特別の日だからネ‥‥、
ってとっておきのカップを母に手渡し、
それから何度もコーヒーをお替りしながら話はつづく。
気づけば時計はもう3時。

母は明日のお昼前のフライトで、空飛ぶ人となる予定。
つもる話もあるけれど、朝まで仮眠をしましょうか‥‥、
と、結局ボクはソファをベッドに、
母はボクのベッドで休む。
明日は母をホテルに送り届けて、そのまま出勤‥‥、
明日の朝もいそがしいぞと思いながら
シアワセな夜の眠りについた。

そして朝。

台所に誰かがたっている気配でボクは目をさます。
母がサンドイッチを作っています。
夜中にお腹を空かすと困ると、
買い置いとくのが習慣になってたバゲット。
サラミとキュウリ。
分厚く切ったチーズにバター。
サンドイッチスプレッドをタップリ塗った、
パンより具材の方が多くしあがった、
いかにも母らしいサービス精神旺盛に、思わずニッコリ。
それにしてもバゲット一本分を
丸ごと使って作ったスゴいボリューム。
ふたり分にはあまりに多く、食べきれないよぉ‥‥、
って口にする。
作っていたらなんだかとてもたのしくて、
折角だから、昨日のホテルのコンシエルジュさんに
オスソワケしたくなってしまったのよ‥‥、と。
そんなに多分、迷惑だよって、
いいつつそれでもふたりで
それをアルミホイルに包んでペーパーバッグに放り込む。






身支度をしてホテルに向かう。
ボクは着替えてこざっぱり。
母は昨日のフラメンコダンサーみたいな格好のまま。
ホテルに入るや、かのコンシエルジュ氏と鉢合わせ。
ニッコリしながら、
「たのしい夜を過ごされたようにお見受けします‥‥」と。
彼が無理して予約をとってくれたレストランの
ステキだったコト。
お陰さまでニューヨークってこの街のコトが、
本当に好きになれたような気がして、
なにより息子の部屋に泊めてもらったんです。
朝、うれしくてサンドイッチをたくさん作って
残してしまって、だからよければ、
みなさんでお召し上がりくださいません? と。

恐縮です、とペーパーバッグを受け取る彼に、母は一言。
「でも、あのお店、私がコンシエルジュでも
 日本人には絶対すすめぬお店ですわネ」
って、いたずらっぽく言ってペロッと舌を出す。

荷物をまとめに部屋に上がっていく母を見送りながら、
ボクは彼に「本当にありがとうございました」
と手を差し出した。
彼はその手をにぎって握手となって、そしていいます。

「またお目にかかれますよう‥‥」
さすがにここに住んでいると、
ホテルに泊まる機会はまずはないでしょうから‥‥、と、
ポツリと言ったボクの言葉に続いて彼は、こう言いました。

ホテルはお泊りになるお客様のためだけに
あるモノではないのです。
ホテルは街のすべての人のためにもあって、
だからこのロビー、このレストラン。
これらはすべて街の財産。
宝物。
ここでなくては叶わぬ夢や、
ここでなければ流れぬ時間を必要とする、
すべての方のためにあるのがホテルという場所。
そしてこの場所の使いこなし方を
誰よりも習熟しているのが、
私たち、コンシエルジュでございます。
ですから気軽に。
またお目にかかる日がまいりますよう、
たのしみにしてございます。

そう、彼はそう言い
ビジネスカードをボクにそっと手渡した。
生憎そのとき、ボクはまだ名刺のようなモノを
もっていなかった。
だから、申し訳ない、名刺がないので‥‥、
というボクに、彼はニッコリ。
その電話番号はワタクシへの専用ダイアル。
私が必ず受ける電話で、しかもあなたのアクセント‥‥、
スッカリ覚えてしまいましたゆえ、
名乗られずとも
お顔を思い浮かべることができましょう‥‥、と。
プロの言葉に、ボクは彼の名前の書かれたカードを
しっかと、手帳の中に挟んでおさめる。

そのビジネスカード。
驚くほどに見事な役目を果たすのですけど、
それはまだまだ先のコト。
次回からは、時計の針をちょっと戻してみましょうか。
ボクがキッチンの中で住んでるような、
へんてこりんなアパートに住む前のコト。
新人ニューヨーカーの戸惑い話をいたしましょう。



2011-11-24-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN