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七月のテーマは ランプワーク

ロンドンにいる友人のひとり、べロニカはチェコ人だ。
彼女は毎年12月になると
「チェコのクリスマスは楽しいから、
 私が帰省するあいだ実家に遊びに来なさいよ」
と、必ず誘ってくれる。
だから私たち家族も「じゃあ行こう」とその気になって、
ついに2年前の冬、
プラハから車で1時間のところにある
彼女の実家で休暇を過ごすことにした。

それまで私の中でチェコといえば、
ズデネック・ミレルやカレル・チャペック、
愛らしい絵本や雑貨の国というイメージが強かった。
だから「なにか可愛いものがあるといいな」という
ふわふわした気持ちで、クリスマスよりちょっと早く、
夫息子と一緒にプラハの空港に降り立ったのだ。

ところが、いざ着いてみると様子がなんだかおかしい。
プラハ市内の道路が異様に渋滞しているし、街全体がざわついている。
現地のチェコ人に尋ねたら、
旧チェコスロバキアの共産体制を崩壊へ導いた、
立役者の元大統領ヴァーツラフ・ハヴェル氏(※)が
亡くなったとのことだった。
これから、国葬するために棺を丘の上の教会に運ぶという。
雨にぬれた石畳の町プラハは悲しみに包まれていた。

私たちはやっとのことでプラハのホテルに到着し、
その日は疲れでベッドに沈み込むようにして眠った。
翌日からのプラハ観光は、
広場や川べりにハヴェル氏への弔いのキャンドルが
置かれているのを目にしつつも、
期待していたとおりの美しい町並み、美味しい料理、
賑やかなクリスマスマーケット、観劇、
そしていくつかの骨董屋に私は満足し、
早くもチェコが大好きになっていた。

数日後、べロニカが車でプラハまで迎えに来てくれて、
私たちは彼女の実家へ向かった。
どんな町だろう、と楽しみだった。

この時まで知らなかったが、べロニカの故郷は小さな炭坑の町だった。
彼女の実家は一戸建てで、
建築家である彼女が両親のために設計したモダンな家だ。
けれども、その家を取り囲む建物を見て私は驚いてしまった。
炭坑が閉鎖される前に大勢の労働者が住んでいた、
今や半分廃墟のような、乱立する巨大な集合住宅。
しかもそれらの壁面は、お世辞にもかわいいとは言えない
色あせたパステルカラーで彩られていたからだ。

1993年にチェコとスロバキアに分かれるまで、
べロニカの母国はチェコスロバキアという名前だった。
1970年代後半生まれの彼女は、
旧ソ連の影響による共産体制が継続するなか幼少時代を過ごした。

国が貧しかったため、西ドイツへ旅行へ行くときは
国から渡されるポケットマネーを持って出かけ、
国境で厳しいチェックを受ける。
そして、西ドイツで買い物をしてチェコに戻ると
残金を国に返すシステムだったという。
国内に流通する品物は少なく、
人々が着ている服はどれも似かよった物。
その上、国から住むように命じられた集合住宅の壁は
グレーに統一されていた。

やっと訪れたコミュニズムの終焉は、
抑圧された暮らしからの解放だった。
歓喜にわいた人々は、
こぞって建物の壁を明るいパステルカラーに塗り替えたのだ。
約20年前のチェコ人の喜びの色。
目の前に広がる光景は、つまりそういうことだった。
私はべロニカからパステルカラーの理由を教えてもらい、
数日前に亡くなったハヴェル氏が
国民にとってどれほど英雄だったかを痛感した。

べロニカと私は同年代だ。
ロンドンでは住んでいる家が近く、趣味も話も合う。
だから、彼女と私の子ども時代が
そんなにも違うという事実を深く考えたことがなかった。
彼女たち家族が共産体制に全財産を押収されていた頃、
私は日本でどんな暮らしをしていただろう。
哀れんでいるのではない。
国が違うとはそういうことなんだと、はっとさせられたのだ。
私は、軽い気持ちでチェコの地を踏んだことを少し恥ずかしく思った。

チェコのクリスマスは、
べロニカが自信を持ってすすめてくれただけあって、
本当に居心地がよかった。
家ではべロニカの家族と、
近所に住む彼女のおばあちゃんが作ってくれた料理が
次々とテーブルに出される。
昼にはそりで雪山を滑り、
クリスマスツリーにチェコの伝統的なビスケットを飾り、
ベイビージーザス(サンタクロース)が
プレゼントを持ってやって来ると聞いて、
私の息子も大喜びだった。
充実したクリスマスを過ごせたことを、
べロニカと彼女の家族に心から感謝した。

私たちがロンドンに帰る前の晩、
べロニカのおばあちゃんが家にやってきた。
あと数日で終わる今年のカレンダーを持っている。
どこかの雪山が映っている写真のカレンダー。
おばあちゃんは
「アヤコたちのサインを入れてもらえないかしら。
 一緒に過ごしたクリスマスの思い出にしたいから。」
と淋しそうに微笑んだ。

90歳になるおばあちゃんは、
若い頃にこの炭坑の町へ移り住み、
今まで日本人に会った事が一度もなかったという。
孫が連れてきた日本人夫婦とその3歳の息子を
本当の家族のようにもてなし、
毎日、小さなおもちゃやお菓子も届けてくれた。

私は、べロニカのおばあちゃんにまた近いうちに会えますように、
と心の中でつぶやきながら、
雪山の写真の上にゆっくりと、自分の名前を漢字で書いた。

あれ以来、旧チェコスロバキアで作られた
ヴィンテージのジュエリーを仕事で目にすると、
私はチェコに滞在した日々を思い出す。
その国が歩んできた道を、暮らす人たちを知ると、
そこで生まれた美しいものは
いっそう奥行きと魅力を増して見えるから不思議だ。

長くなってしまったけれど、そんな経験から、
今月は旧チェコスロバキアのランプワーク
(バーナーでガラスの形を形成する手法)のブローチをご紹介する。

※ヴァーツラフ・ハヴェル/
 2011年に75歳で亡くなったチェコ共和国の初代大統領。
 ヒューマニスト。劇作家として知られていたが、
 共産体制の時代には反体制運動の指導者として活動し、
 何度も投獄されながら人権擁護を求めた。
 のちに政治家として、カール大帝賞、
 インディラ・ガンディー賞などを受賞している。

(つづきます)

 
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2013-07-08-MON

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