そういえば、お話を、
ちゃんとお聞きしたことが、ありませんでした。
「ブタフィーヌさん」の連載がはじまって3年、
連載は800話をこえ、単行本も第5巻に。
平日まいにち、1話ずつ、この世界を描きつづけている
作者の「たかしまてつをさん」って、
どんなかたなんでしょう?
ここまで、どんなふうに来たんですか。
ブタフィーヌさんはどんなふうに、生まれたんですか。
「すべて」とはいきませんが、
かなりたくさんのお話を聞くことができました。
全11回、どうぞゆっくりおたのしみください。
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── | 「ほぼ日マンガ大賞」を受賞されたのが 2005年で、それからのおつきあいなんですが、 それ以前のたかしまてつをさんを ぼくらは全く知らないということで きょうはいろいろとお話を伺おうと思います。 あの、それまで、何をしていたんですか? |
たかしま | どこから話しましょうか。 ぼくは、二浪して大学に入って、 24歳で卒業してるんですが、 その浪人時代まで、名古屋にいました。 |
── | 生まれ育ちが名古屋。 大学は、美大ですか? |
たかしま | いや、ちがいます。 コンピュータを勉強したかったので 工学部へ行きました。 山梨大学の工学部の計算機科学科、 というところです。 いまは、コンピュータ・メディア工学科っていう 長い科名に変わっちゃったんですけど、 当時はそういう言葉がなかったというか、 たしか、日本ではじめて、 コンピュータの学科を取り入れた大学の ひとつだったんです。 コンピュータを学ぶには、けっこう いい環境だっていう話を聞いたので、 そこに入ろうと思って。 ぼくは、もう小学校のころから ずーっとコンピュータの仕事をしたいと 思ってきたんです。 |
── | たかしまさんは1967年生まれですよね。 ぼく(シェフ)は1966年ですが、 小学校低学年のころって、コンピュータって、 丸ビルぐらいの大きさになるっていうふうに 言われてませんでした? |
たかしま | はははは。ちいさなころは 家庭用の電卓もなかったですものね。 ぼくが興味をもったのは、 マイコンっていうのが 出始めたころなんですよ。 基板にボタンがパチパチついてて、 プログラミングするっていうことに 憧れてたんですけど、 敷居が高かったんですね。 そしたら、ちょうど中1のころ、 家庭用のコンピュータということで、 NECからPC-6001っていうのが発売されて、 それを父に買ってもらったんです。 |
── | 何ができたんですか。 |
たかしま | 親も「何ができるの?」って、 「それ、高いけどなに?」 みたいな話だったんですけど。 BASICっていう言語を使って プログラミングをするんです。 家庭用のテレビにつないで、 プログラミングを記憶するのも、 普通のカセットテープでした。 そんな時代です。 |
── | どうやって親を説得したんですか。 |
たかしま | 「勉強に使える」って。 |
── | じっさいには? |
たかしま | ゲームをつくってみたいと思って。 |
── | ははは、そうですよね。 |
たかしま | インベーダーゲームとか 流行り始めたころで、でも、ぼくは、 ゲーセンに連れて行って もらえなかったんですよ。 そんなとき本屋さんで インベーダーの画面が表紙の雑誌を見つけて 手に取ったら、それはゲーセンの本じゃなくて、 BASICの本だったんです。 プログラミングをすれば、 こういうのが家でできるんだ! ってことがわかって。 |
── | びっくりですよね。 宝の地図ですよね。 その通りに進んでいくと ここに着くぞって 書いてあったわけですよね。 |
たかしま | そうです。 すばらしいゴールが表紙にあって、 いやー、これもう絶対 なんとかしてやってみたいと。 |
── | 中1で。 たかしまさんは街の子ですか? 郊外の子ですか? |
たかしま | 郊外ですね。 名古屋の端っこです。 中川区っていう 当時は田んぼがいっぱいあって、 ウシガエルとかがゲコゲコ鳴いてました。 うちは市営住宅で 長屋みたいなところだったんですけど。 |
2008-12-08-MON | |
(つづきます!) |