西田 |
動画を見てもらえばわかるんですけど、
やっぱりこのゲームのよさって、
「プレイしているところを見れば、
たのしさが伝わる」
っていうところだと思うんですよ。
それで、プレゼンは大成功だったし、
東京ゲームショウでの反応もよかった。
ところが、そこからがたいへんだったです。
ひとことでいうと、商品として、
どこを目指すのかということが
散漫になってしまって、
迷走するうちに企画が止まってしまった。
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北村 |
東京ゲームショウで見せるために、
いったんゲームをまとめたんですけど、
それがすごく「音ゲー」寄りに
なってしまったんです。
というのは、やっぱり、
「みんなで合奏するのはたのしいけれど、
ひとりでもたのしめないといけない」
ということになって、
ひとり用の「音ゲー」の部分を
すごく力を入れて開発していったんです。
すると、いつの間にか、
「音ゲー」にしか
見えなくなってしまった(笑)。
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西田 |
しかも、その当時は、
「ロックの曲ばかりを入れる」という
妙なこだわりがあって(笑)。
選曲もすごくかたよっていたんですね。
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北村 |
だから、パッと見は完全に「音ゲー」で、
合奏のできる楽器モードは
オマケのような扱いになってしまっていて、
しかも、音楽がロック寄り。
結果的に、ものすごくマニアックなものに
なってしまっていたんです。
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西田 |
いまにして思えば、ゲーム全体を見るという
視点が足りなかったんだと思うんです。
ソフトに精通している人がいないというのは、
ぼくらのチームの長所でもあって、
だからこそ、こういうゲームの企画が
出てきたんだと思うんですけれど、
やっぱり、それを商品にまとめていくときは、
第三者的な全体を見る視点が必要になってくる。
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北村 |
で、企画が頓挫してしまったときに
内部の組織替えがあったんです。
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西田 |
それは、音楽ソフトをやるために、
というわけではまったくなくて、
開発スタッフ全般の
大規模な組織替えだったんです。
それをきっかけに、
このソフトが息を吹き返すんです。
そして、結果的に、ぼくらの部署が、
社長の岩田(聡)の下に
配属されるかたちになったわけなんです。
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