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(パラパラと写真集をめくりつつ)
この56番の写真は、
大竹さんの文章を読むことで
被写体の男性と、それを見ている自分が、
カメラをはさんで行き来しますよね。
ぐいぐいって視点が入れ替わる。
そんな運動をこういう言葉にできるってことは、
写真家ではない、見る人、書く人ならではの、
たのしい遊びですよね。素晴らしいです。 |
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大竹 |
写真の理論や本質は、
すでにあまた出ている本の中で
書き尽くされているんです。
でも一般人にはなじみのない言葉や概念や、
ヨーロッパの哲学書からの
引用のオンパレードなんです。 |
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はい、ちょっと難しい内容が多いですよね。 |
大竹 |
写真を前にしたときに、
私たちの意識や感情の中で起きていることは、
これまで話してきたように、
全然難しいことじゃなくて、
どんな人も体験してることなんです。
でもそれについて語ろうとすると、
どうしてこんなに難しくなってしまうんだろうって、
ずっと疑問だったんですよ。
だから、文章を書くときに何よりも心がけたのは、
写真を私たちの日常体験に置き換えて、
分かりやすい言葉で表現してみる
ということだったんです。 |
── |
言葉にすることで、
はじめて分かることもたくさんありますよね。
しかも、それを平易な言葉で、ということですね。 |
大竹 |
さっきの56番の写真でいうと、
私たちは写真を目の前にすると、
写真を撮る側、撮られている側、
それを見る側というふうに、
いろんな立場に置き換えながら見ますよね。 |
── |
そうやって、写真を見ているときには
誰にでもなれるんですね。 |
大竹 |
そう、そう、
必ず自分ではない他人の視線をも
取込んで見てしまう。
ただ、そのことは意識しない。
そんな様々な見る体験にまつわる無意識のかけらが、
写真にはたくさん詰まってるんです。
だから、できるだけいろんなタイプの写真を
ピックアップしようと思ったし、
書く内容も一点ごとに変えようと思いました。 |
── |
この企画はいつぐらいから考えてらっしゃたんですか。 |
大竹 |
写真と言葉を併置する本を作ってみたい
という気持ちは、ずっと前からあったんです。
でも、単なるアンソロジーではつまらないので、
誰もやったことのないような意図を込めたいな
と思いました。 |
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たとえば、どういうものですか? |
大竹 |
プロとアマチュアの写真に区別をつけないというのは、
そのひとつです。
区別しないことで、
写真の本質があぶりだされると思ったから。
それに昆虫写真とか、旅の写真とか、
写真内のジャンルを崩すことも意図しました。
それと写真家名を写真ページに載せないこと。
これにもこだわりましたね。
やはり写真は「無名」なほうが
写真そのものと出会いやすいんです。
私たちの日常生活でも、
立派な表札がかかった家より、
ドアが半開きの家のほうが入りやすいでしょう?
名前はときとして権威として働いて、
物の本質をおおい隠してしまう。
それに人はいろいろな手がかりで、
物を見る癖がついているしね。
そういう梯子(はしご)をいったん外して、
まっさらな状態で写真に対してみたかったんです。 |
── |
短い文章ですけど、
全部内容も書き方もちがっていて、
これは大変なことですよね。
しかも、写真にどうしてもありがちな、
「批評」がまったくないですよね。 |
大竹 |
ふつうは、その写真の出来不出来を語ったり、
写っているものを説明したりすることが多いですね。
でも一枚の写真を見たときに
自分の中で起こることは、妄想したり、
感情移入したり、突飛なことを思い出したりと、
ものすごく多様ですよ。 |
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大竹 |
たとえば、この写真。
ボーリングボールが転がっているんだけど、
私にはこれが
マリモ羊羹(ようかん)に見えてしまったんです! |
── |
お気持ちはとても分かります。
色と形状が、たしかにマリモ羊羹ですよね!
でも実際の大きさは
マリモ羊羹とだいぶちがいますよね‥‥。 |
大竹 |
そうなんです。撮影現場では
マリモ羊羹という想像は生まれないと思うんです。
でも写真が出来あがってみると、
なんだか似ているなあと思ってしまう。
そこに写真のひとつの謎がある。
写真を見るとき、人は
頭の中でサイズを自由自在に変えて
見てしまうんですね。
形、色、空気感、奥行き‥‥断片的なイメージが、
ありもしないストーリーを
頭の中で立ち上げてしまうんです。 |
── |
うん、うん、うん。面白いです。
写真って、
自分たちがいかに変な生き物かっていうのを、
あぶり出していますねえ。
この本、紙や印刷や装幀も
ちょっと変わってますよね。
写真や本の佇まいやすべてに統一感があって。 |
大竹 |
あんまり物々しくない、
ざっくりした感じにしたかったんです。
写真集って、たいそうなものになっちゃうと、
それだけで見る側を構えさせてしまうでしょ?
だからよそよそしくない、
日常に溶け込んでいくようなもので、
かつ、見る人に強く訴えかけてくる
装幀にしたかったんです。
これも寄藤さんのチームのおかげです。 |
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── |
この本で写真集というものが
とっても身近になりました。 |
大竹 |
ありがとうございます。
私、思うんですけど、
写真について人とおしゃべりするのは、
一緒にご飯を食べるのに
似ているように思うんですよ。 |
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── |
「ご飯」というメディアを通して
会話が生まれますよね。
おいしいよね、とかね。
ご飯さえあれば大丈夫ですね、ほんとに。 |
大竹 |
でもほんとうは小説だって、絵だって、
映画だって同じで、
コミュニケーションを生むための
芽みたいなものでしょ。
とくに写真は答えがなくて、
何を言ってもいいところが最高です。 |
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答えがないからこそ、
自由に話していいってことですよね。 |
大竹 |
そうそう。
とりあえずは、見たまんまの感想でもいいの。
この本の中に澤田知子さんの写真があったでしょ? |
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大竹 |
この写真が展示されている前で、
おばさん二人が、
「ねえ、同じ人?」
「うそー、ちがうでしょ!」
「でも同じみたいよ」
って言い合っているのを見たことがあります。
他愛もないけれど、誰もが思うことよね。 |
── |
(笑)。思わずしゃべりたくなる写真ですよね。 |
大竹 |
そう、萎縮しないで、言葉に出してみることで、
どんどん感覚を解放できたらいいですよね。
それと、この本は
あくまでも私個人が思った「すごい写真」100点で、
「すごい」の基準は人それぞれにちがうはずだから、
自分の100点を作ってみるのもいいですよね。
また、写真のワークショップの教材にするとか、
学校で生徒同士にわいわい議論させるとか、
いろんな使い方が考えられると思います。 |
── |
使い方も100通りなんですね!
ところで、本のタイトルに「2008」とありますが、
来年も出すご予定ですか? |
大竹 |
一応そのつもりで動きはじめています。 |
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そうですか、とてもたのしみです。
大竹さんのおかげで、
写真を見るのがこれからより一層
面白くなりそうです。
7回にわたってありがとうございました。 |
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(終わります) |
2008-11-12-WED |