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とかく「書」とは恐ろしい | 2008-12-22-MON | |
遊でもなく雄でもなく悠 | 2008-12-23-TUE | |
かくも「言葉」は強烈だ | 2008-12-24-WED | |
お茶とワキ毛 | 2008-12-25-THU | |
言葉の幹と根は沈黙である | 2008-12-26-FRI | |
それぞれのビートルズ | 2008-12-29-MON | |
いつでも帰ってこれる場所 | 2008-12-30-TUE | |
最高の最期は | 2008-12-31-WED |
糸井 | はじめまして、糸井重里です。 |
武田 | はじめまして、武田双雲です。 |
糸井 | さて。‥‥どういきましょう?(笑) |
武田 | そうですねぇ(笑)、 いちおうテーマは「言葉」ということですが。 |
糸井 | ‥‥中国に「書のエリート」を育てるような 学校があるらしいんです。 |
武田 | ええ。 |
糸井 | そこでは「体操」ばかりやってるらしい。 |
武田 | へぇ‥‥。 |
糸井 | ‥‥と、書家の石川九楊さんという人が おっしゃってたと、 吉本隆明さんから聞いたことがあります。 |
武田 | おもしろいですね、それは。 |
糸井 | つまり、 最終的に書家から出てくるのは「文字」という 二次元の表現ですけれど、 それを生み出す「もと」となっているのは、 やはり「肉体そのものなんだ」って。 文字を書く、ということに限らないですが、 そういう意味でいうと、今の時代って 「肉体そのもの、 自分自身というものをあらわす場所が 失われつつある」のかもしれない。 |
武田 | コンピュータ時代の身体性の問題ですね。 ぼく‥‥「書道物理学」というものを ずっと、研究しているんですけど。 |
糸井 | へぇ、おもしろそう。書道の物理学? |
武田 | さっきの中国の体操のお話に象徴的ですが、 「書の筆跡」というのは 「身体運動の結果」として、あらわれます。 |
糸井 | ええ、はい。 |
武田 | ようするに、書道のおもしろさのひとつは、 たとえば「一本の線」を書くだけでも、 「ポン、スー、トン」というストロークの動きが 人それぞれちがう、ということなんです。 |
糸井 | うん、うん。なるほど、一本の線なのに。 |
武田 | ひとりひとり、微妙なちがいがある。 たとえば、ひらがなの「し」は一筆ですが、 動きが、人それぞれ、変わってくるんです。 ‥‥おもしろいでしょう? |
糸井 | へぇー‥‥。 |
武田 | 逆に言えば、その人の「身体運動の結果」が、 「白い紙」という二次元の世界に、 墨という「黒い影」として残ってしまうんです。 |
糸井 | うん、うん。 |
武田 | そして、われわれ人間のすごいところは、 その二次元に投影された「影」から 三次元を構築できる能力があるんですよ。 |
糸井 | つまり‥‥。 |
武田 | 何百年もまえの書を見ても、 そこに閉じ込められた書き手の身体の動きや、 毛筆の摩擦や筆圧など‥‥ そういうものが、ある程度わかるんです。 |
糸井 | 数百年後の「読む側の人」が、 その書の書かれた速度を感じられる‥‥ような? |
武田 | ええ、筆のすすみ、はやさ、つよさ。 |
糸井 | つまり「気配」が残ってるんだ。 |
武田 | そう、そうなんです。 |
糸井 | 書家は「書」に「気配」を残す。 |
武田 | そういう言いかたもできますね、 反対側から言えば。 |
糸井 | ぼくは、武田双雲さんという書家のことを そんなに詳しくは知らないんだけど‥‥。 |
武田 | ええ。 |
糸井 | 以前、武田さんがお出になった番組を観たら、 「ああ、この人は、 書道の先生をしているお母さんという存在に おもいきり甘えられるから、 どん欲に、 なんにでも挑戦できるんだなぁ」って思った。 |
武田 | ‥‥なるほど。 |
糸井 | つまり「書道の先生をしているお母さん」って 言い換えれば「楷書」じゃないですか。 武田双雲『書本』p24より「空」(楷書) |
武田 | ええ、ええ。 |
糸井 | その揺るぎない土台があるから、 書道界に賛否両論を巻き起こすような 「創作書」を生み出せるわけで。 武田双雲『書本』p25より「空」(創作書) |
武田 | そうかもしれません。 |
糸井 | だから、武田さんの作品を見ていて、 いちばん「うらやましいなあ」と思うのは、 じつは「楷書」のほうなんですよ。 |
武田 | そうですか。 |
糸井 | で、「創作書」のほうは、 もう‥‥暴れまわってるのがわかる(笑)。 もちろん、ぼくらみたいなふつうの人には 書けるわけないんだけど、 「これでどうだ、これでどうだ‥‥」って 若い野球選手を見てるような、ね。 |
武田 | 好きなことやってるだけです(笑)。 |
糸井 | いつでも「楷書」に戻れる自信があるから こんなに「はだか」で 暴れまわっていられるんだなぁというのが‥‥。 純粋にね、うらやましいなぁと。 |
武田 | でも、ぼくは「こうだ!」って言い切る人が わるいとは思わないんですが、 自分が言ったことにたいして、つねに半分は‥‥。 |
糸井 | うたがってる? |
武田 | そう、「オレ、なに言ってんだ?」って思うし、 でも、もう半分は「自信満々のオレ」もいるし。 |
糸井 | その「もう半分の自信満々」は、 「これだけの楷書を書けるんだ」って意識が 支えてるんじゃない? |
武田 | いや‥‥。 |
糸井 | 書道界には「大家」と呼ばれる先生がたもいるけど、 「楷書なら、ある程度までいけてるだろう」って。 |
武田 | いや、まだ年齢が若いということもあって ボッコボコに叩かれますから、ぼくなんて。 おまえは書の基本すらわかっていない、 毒を吐き散らしてるだけだ‥‥って。 |
糸井 | ‥‥ほう。 |
武田 | もちろん、そういうつもりで、やってません。 武田双葉という書道家のもとで育った自信や、 「自分が絶対正しいんだ」と思う自我、 負けたくないというプライドはありますから。 でもやはり、ぼくと同じように書道家で、 ぼくと同じように 自信と誇りを持ってやってる人からしてみれば、 「それは、ちがうだろう」と。 |
糸井 | そうですか。 |
武田 | 「自信なんか持っちゃダメだ、おまえは」って、 そういうふうに、言われてしまう。 |
糸井 | うん。 |
武田 | ‥‥とかく「書」とは恐ろしいなと。 |
<つづきます> |
右ページには「楷書」が大きく書かれ、 左ページには、同じ文字の武田双雲流「創作書」が。 『書本』が漢字版、『しょぼん』がひらがな版。 パラパラとながめているだけでも、楽しい一冊です。 アートディレクターは佐藤可士和さん。 |
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武田双雲さん、初の「書道ワークブック」。 半紙に向かう心構えから、墨のすりかた、 筆のかまえ、模写‥‥と手順を踏みながら書を学べます。 基本的な楷書から、自由な筆文字創作まで 武田さんの書の世界の幅広さをかいま見れる一冊。 |
今回の武田双雲さんとの対談のもようは、 書店にて販売中の読書情報誌『新刊ニュース』1月号でも お読みいただくことができます。 『新刊ニュース』版では「書のチカラ、コトバの魅力」と題し、 「ほぼ日」とはちがった視点から編集されていますので 読みくらべてみると、楽しいかもしれませんね。 Web版『新刊ニュース』はこちらからどうぞ。 |