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高平さん、ご無沙汰しております! |
高平 |
やぁ、どうも。 |
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さっそくですが、今日のテーマは
「中洲産業大学とは、何か」。
‥‥というのもですね、
こんどの「はじめてのJAZZ 2」をはじめ、
これまで、いろんなイベントに
「中洲産業大学&ほぼ日刊イトイ新聞presents」という
カンムリがついているんですけど、
そもそも「中洲産業大学」って何なのか、
よく知らない読者も、たくさんいると思うんです。
そこで、リアルタイムの目撃者である高平さんに、
ここはひとつ‥‥。 |
高平 |
うん。 |
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それが生まれた背景だとか、
当時、かかわっていた人物の話だとかを
おうかがいできたらと思いまして。 |
高平 |
ああ。 |
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たとえば、福岡の観光会社で
サラリーマンやってたタモリさんを
山下洋輔さんが「発見」した話だとか、
東京に呼び出されたタモリさんが
赤塚不二夫さんの豪邸に居候しながら、
夜な夜なスナック「ジャックの豆の木」で
密室芸を披露していた時期の話なんかをですね‥‥。 |
高平 |
京都産業大学の学園祭に
タモリと営業に行ったときにできたんだよね、
中洲産業大学って。 |
── |
え? 元ネタは「九州産業大学」じゃないんですか?
タモリさん、福岡出身だから‥‥。 |
高平 |
それはちがう。ちがう‥‥と思う。
ようするに、タモリがやってた「大学教授ネタ」の流れで、
どこの大学の教授なのか、
名前をつけちゃおうって、そういうことでさ。
で、たまたまふたりで京産大にいたし、
「中洲産業大学てのはどうかね」って言ったら、
タモリも
「インチキ臭くていいんじゃない?」って(笑)。 |
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それって、いつくらいのお話なんですか? |
高平 |
うーん、正確には覚えてないんだけど‥‥。
タモリの初レギュラーが
テレビ東京の『空飛ぶモンティ・パイソン』って番組で、
その前年の夏だったと思うよ、きっと。 |
── |
ええと、高平さんの本(『ぼくたちの七〇年代』)によると
1975年のことのようですね。
『空飛ぶモンティ・パイソン』が76年スタートですから。 |
高平 |
ああ、そう(笑)。
‥‥ともあれ、俺がはじめて
漫画家の高信太郎さんに
「ジャックの豆の木」に連れてってもらったのが、
75年くらいのことなんだよ。
そこではじめて、「タモリ」をみたんだ。 |
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八時半。その男が入ってきた。
カウンターの入り口付近に腰掛けた。
A子さんがあごでぼくに合図をした。
「来てもほっとくように」と言われていたので、
チラッと男を見る。
紺のゴルフズボンにスリップオンの革靴。
黒ぶちの一般的な眼鏡。
あとで聞いたが眼鏡以外はすべて赤塚さんの私物だ。
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ー晶文社刊
高平哲郎『ぼくたちの七〇年代』p138 |
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── |
山下洋輔さんや、赤塚不二夫さん、
「ジャックの豆の木」ママの柏原A子さんなんかが
新幹線のお金を出しあって
福岡のタモリさんをお店に呼んだんですよね? |
高平 |
その前年くらいかな?
山下さんがツアーで九州にいったとき、
どんちゃん騒ぎの打ち上げをやっていた
ホテルの部屋に
いつの間にか「おもしろいヤツ」が紛れ込んでて‥‥。
それが、のちの「タモリ」だったらしい。 |
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出し物が最高潮に達しつつあった時、
一人の見知らぬ男が踊りながら入って来たのだ。
一同驚きながらも続けるうちに、
この男は中村(註:中村誠一氏。サックス奏者)の
かぶっているカブリモノ
(それは籐椅子の底が抜けたものだった)を
とり上げてしまった。
(中略)‥‥中村は、大声で男の無礼を咎めた。
デタラメの朝鮮語だ。
「タレチョネン イリキテカ スミダ」
すると我々が予想もしなかったことが起こった。
男がやはり同じ言葉で、
しかも、どう聞いても三倍は流暢に返事をしたのだ。
「ヨギメン ハッソゲネン パンチョゲネン
パンビタロン ピロビタン ウリチゲネンナ ゴスミダ」
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ー晶文社刊
山下洋輔『へらさけ犯科帳』p220 |
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たまたま同じホテルに泊まっていた
山下さんたちの部屋の前を通ったんですよ。
そしたらドアが開いてて、
面白そうなことやってるなぁと入ってくと
バカなことやってるわけだけど、
そのバカさ加減の波長が合ったんですよ。(中略)
‥‥夜が明けたんで
こりゃいかん会社あるんだってんで帰ろうとしたら、
山下さんが
「ちょっと待った。あんたは誰なんだ」ってことで
「私は森田と申します」って言って帰ったんですよ。
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ーメディアファクトリー刊
赤塚不二夫『これでいいのだ。』p14
タモリさんの発言より |
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<続きます> |