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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-01-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・人が「こんなことは常識だ」と思っていることは、
 ほんとうには「常識」になっていないと思うんです。

 中学の、理科でも、社会でも、数学でも、英語でも、
 実にたくさんのことを習っています。
 ぼくらも学んだような気はするし、習ったとは思います。
 教科書にはたくさんの大事なことが記されてます。
 そして、学べたかどうかをたしかめる試験もありました。
 よく「そんなことは、常識でしょう。
 中学校の義務教育で習ってるはずですよ!」とか、
 言いたがる人がいますが、
 それはそのとおりで、習ったはずなんですけどね。
 その当時だって、みんなが満点じゃなかったんです。
 90点だったか30点だったか知りませんけどね、
 ぜんぶ100点だった人なんかいませんから。
 教科書には書いてあったし教室で習ったはずだけど、
 「一部、あるいは大部分を、
 理解したり記憶したり…してなかった」のです。
 しかも、習って間もない時期の試験でも満点じゃないのに、
 それを学んでから何年も何十年も経っているんですから。
 憶えていられると思いますか、開き直るわけじゃないけど。
 ものすごく間違ってるし、ものすごくわかってないし、
 ものすごく忘れているんです、それがふつうです。
 ある人にとっては、憶えていて当たり前であろうところの
 「二次方程式の解の公式」を使って、
 あなたはなにか問題と答えとを作成できますか? 
 恥ずかしいけど言いますが、ぼくはできません。
 だいたい、公式さえ忘れたままで半世紀経っています。
 「ゲルマン人の大移動」はいつ、で、
 どういうことを契機に始まったことですか? 
 「そんなことも答えられないで、よく生きてこられたな?」
 とか責められるでしょうが、そしたら、
 「生きてきました」と答えるしかありません。
 義務教育で、教科書に書いてあることでも、こうですから、
 だれから習うのかわからないことについてはもっとです。
 親にも先生にも、たとえば「人の愛し方」を習ってません。
 たとえば「けんかのしかた」も「仲直りのしかた」も。
 みんなが、なんとなく「じぶんなり」にやってるだけです。
 教えられたことも話し合ったこともないような気がします。
 そりゃぁ、世の中ややこしくなるのも当たり前ですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
昨日は「暴力は犯罪です」と書かれたポスターを見ました。


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