
・コメの欠点は「うますぎること」だという言い方があった。
いろんな意味で、いまコメは話題になっている。
コメについて考えることはいくらでもあるだろうが、
最近は、コメのめしがうまいということを、
みんなが思い出してくれたようで、それはうれしい。
ぼくはコメがどうも大好きのようだ。
そう言ってすぐに付け加えるのもなんだけど、
パンも好きだし、そばもうどんも好きだ。
だが、人生のなかでいちばん食べてきたのはコメだし、
パンやうどんが消えて無くなるよりも、
コメが無くなることのほうが悲しいという気がしている。
その上で、だれがいちばんコメ好きかなどという競争には、
参加したくないとも思う、ふつうに大好きくらいでいい。
しかし「ライスをおかずにごはんが食べられる」
くらいの実力は持っている、実際にはやらないけどさ。
いわゆる「ごはんのおとも」があれば、
それだけで、けっこういくらでもコメのめしはいける。
生卵だとか、納豆だとか、漬物だとか、
そういうものがあったらもう盤石である。
「塩むすび」だって十分においしいのだから、
塩だけあればいいとさえ言える。
あ、さっきの「ライスをおかずにごはんを食べる」
じゃないけど、「塩むすび」をおかずに
ごはんを食べることなら、無理なくできるかもね
いいなぁ、こういう言っても言わなくてもいいような
「純・むだばなし」みたいことを話すって、たのしい。
4月1日だからって、一所懸命にウソを考えるのは、
もうとっくにやめているのだけれど、
「むだばなし」なら、いつでもやりたいよ。
そしてね、「むだばなし」をするのに、
最も向いているテーマが「コメのめし」なんだと思う。
他人同士が、いちばん無難な会話ができるのが
「天気の話」だということは、みんな知っている。
無意識でも、そういうふうにしているものね。
それと同じように、たのしく時間をつぶすような
「むだばなし」をしたいなら「コメのめし」を語れである。
だれでもが参加できて、だれにもじぶんの「思い」がある。
こういうことこそが「文化」というものなんだろうね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
それにしても、「ウソ」を考えるの、流行らなくなったねー。