・すいか、けっこう好きで、よく食べる。
気がついてみたら、大人になってからは、
皮の近くの甘くないところは、食べなくなっていた。
白いところは、もちろんけずって食べたりはしないが、
赤いところについても、甘くないところは残している。
こんなところを、子ども時代のぼくが見たら、
どんなふうに思うだろうか。
「まだ食べられるのに」と言うにちがいない。
その子ども時代のぼくは、食べていた部分だからね。
そのときの、その気持は覚えている。
赤いところは食べられるし、食べるべきところである。
いちばん自慢できる食べ方は、
まったく赤いところが見えなくなるまで食べることだ。
ま、だれに自慢しているのかはわからないが。
しかし、すいかの皮に近い部分は、おいしくない。
いや、それを好きな人もいるのかもしれないが、
甘くないのはたしかである。
子どものころはともかく、大人になると、
わざわざおいしくないと思う部分まで食べるのは、
それまでのおいしく食べていた思い出さえも
かき消してしまうようで、よくないと思うようになった。
すいかが好きで、甘くおいしくいただいていたのに、
最後の仕上げが甘くもおいしくもないすいかの皮だなんて。
いつのまにか、そういうことを考えるようになって、
ぼくはすいかの食べ方を変えていった。
すいかは「赤は食べる。白は食べない」という
色分けの考え方ではないのだと、ぼくなりに決めた。
実を言うと、メロンにも同じようなことが言えるが。
メロンの場合は、色がもっとあいまいなので、
「ここらへんから甘くない」と判断したところで止める。
他の人が、すいかやメロンをどこまで食べているか、
調べたこともないのでわからないし、
すいかのまだ赤いところを食べ残して叱られたこともない。
実を言うと、ラーメンのいちばん原価のかかっている
スープも、飲み干すことをとっくにやめているが、
これには批判したい人もいることだろうと思っている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ケチなのかぜいたくなのか、じぶんでもよくわからないのだ。