「大変な損害」のイメージ。

糸井重里

・ある意味、それほど珍しいことでもないのだが、
 「大型で強い台風が日本列島に近づいて」くると、
 その大きな影響を受けることになる。
 直接的な被害に遭われた方もおられるし、
 間接的な被害を受けた方もとても多いはずである。
 つまり、屋外のイベントを開こうとしていた人たち、
 空や陸や海上などの交通の仕事についている方々、
 そこからさらに間接的に関わっていた方々、
 たとえば弁当の会社とかも大変だったことと思う。
 ああ、むろん観客や乗客にも被害が及んでいる。
 
 こういうときニュースなどで、「欠航」であるとか、
 「運転を見合わせ」「開催中止」とかが伝えられる。
 部屋でテレビを見ていて他人事として
 「運休」や「中止」の報せを知ることはよくあるが、
 現地、現場の関係者にとっては、重大な判断だし、
 まったくの一大事であるはずなのである。
 被害、影響の大きさも、よく数字で語られてもいる。
 気のせいでもないと思うのだが、
 自然災害のニュースが、ずいぶん多くなったようである。
 今回の大型で強い台風25号についても、
 ほとんど休みなく報道されていて、
 いまどこにいるか、ずいぶん多くの人が知っていそうだ。

 こんななかで、はじめて思ったことがあった。
 「中止」とか「欠航」「運転見合わせ」のようなことは、
 イベントや交通機関にとっての一大事ではあるけれど、
 「ありうる」ものとして「システムに含まれている」と。
 やりたくてやるものではないが、想定はされている、と。
 大きな損害があるにしても、中止が判断できるものなんだ。
 いわゆる「リスク」の管理というやつだ。
 それの大きな事例が、あんがい、よくあるということ。
 日常で、あれこれの失敗を怖れながら生きているけれど、
 いまの社会って、でっかい判断、よくやってるんだよな。
 コロナ禍のときも、思いっきり社会が変わったっけなぁ。

◆今日の質問049「いままでで最大の失敗は?」
 なんだろう?よかったらメールにも書いて送ってください。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
日常の「損失の感覚」と、非常事態では別勘定なんだろうね。