・これはもう、ただ単なる思いつきなので、
ひとつの「イメージ」として読んでもらうことにしよう。
深いとか、浅いとか、人は言いたがる。
それを言う場合、たいがいは、
深いがいい、ということになっているのである。
浅いなんかだめなのだ、というよりは、
浅いは、まだまだ深いに足りてないというような、
感心できない手軽さが見えてしまっている。
そういうことらしい。
昔、農業の先生についてあちこち見学したことがあった。
北の国から、南や西や、ヨーロッパまで行ってしまった。
そういうなかに、ベルサイユ宮殿の庭だったか、
マリーアントワネットの菜園だったかがあった。
たいへんに高貴な方が食する野菜をつくっているという。
そんなところを見学する許可をどうやってとったのか?
よくわからないまま先生についていくと、
ただ単に、塀やら扉を無視して入っていくだけだった。
さまざまな作物が育てられていたけれど、
先生は、ぜんぶダメだと言い切っていた。
「これ、根を深くしようとしてつくっているでしょう。
ほんとうは、浅く広くふわっと根を生やさせるんです」
大事なものだから丁寧に深くしたいというのは、
学者の発想で、深くするのは意味もないし美味くならない。
細かいふわふわの根毛を広げるようにつくるのがいい、と。
きっとこれも実践に基づいた理論だから、
諸説あるのかもしれないが、ぼくには感動的だった。
それ以来、深いと浅いのことは、
みんなとちがった視点で考えることになったのである。
だいたいさ、世界一深い(1万メートル以上)と言われる
マリアナ海溝の上でクロールやっても、
水深2メートルのプールで泳いでも、同じ水泳だよね。
◆では質問no.028「負けず嫌いですか?」です。
他人がどう言うかもあるけど、じぶんの考えでは?
よかったら、メールに書いて送ってくださいな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
植物のふわっふわの根毛、このイメージがぼくには理想です。