糸井 |
100円玉を投げる授業をしたのは、
ぼくの体験がもとになっています。
小さい頃、
氷の張りかけたお堀に石を投げて
チュンチューン、と飛んでいくのを観て、
かなり楽しんでいた時があったんですけど、
とうとう近くに石がなくなった時に、
自分のなけなしの50円玉を投げてみたんです。
その時に「あれ?」とぼくが感じた
不思議なものを、みんなにも
感じさせてあげたい、と思って
ぼくはその授業をやってみたんです。
「これは100円では覚えられない感覚だよ」
という、ほんとは、とても
親切なはずだったんだけど・・・。 |
松本 |
でも結局、それを
「もったいない」
と言う人が、いっぱいいたんですか。
それ、ぼくが番組を作っている時に
よく感じさせられることと、似てます。
「食べ物を粗末にするな」
という苦情があるじゃないですか。
例えば、ごはんならごはんを、
地面にビタンとしたとして、それを
「もったいない!」と言う奴がいるけども、
ぼくはその時に、いつも思うんです。
「ごはんを、口に入れることの
利用価値しかないと思うなよ!」
ごはんをビタンとした時に、
それがものすごくおもしろければ、
もう、ごはん程度の価値は
果たされたじゃないか・・・。
そういう考え方を理解してくれる人が、
少ないんですよ。 |
糸井 |
それは、宗教だからですよね。
「ごはんを食べる教」というのがあって、
「食べものを粗末にしない教」があって、
でも、松本教は、
「ごはんはいろいろ使える教」だから・・・。 |
松本 |
絶対に分かちあえないんですよ。 |
糸井 |
宗教戦争だ。 |
松本 |
100円も、確かにかたちとしては
「捨てる」ことかもしれないけど、
使い方によっては、
100円以上に楽しめるんだから、
ぼくはそれで充分に100円の価値を
果たすことができたと思うんです。 |
糸井 |
そうなんです。
だから、そういう教室には、
できませんでしたという奴がいたり、
そこから逃げようとして
斜めに対峙する奴もいるけど、
やっぱりいちばんトクしたのは、
「捨てた! ああ気持ちよかったあ!
・・・何なんでしょう、この感じは!」
と言った奴だと思います。 |
末永 |
捨てることができない人が多いと聞いて、
それだけ、お金というものへの執着が
人間にとって本質的なもんなんだなあ、
ということを感じます。
約束のしるしのあるものを作って、
それをある種の神聖なものとして
流通させるというのは、昔からの、
人間の本性なのでしょうね。 |
糸井 |
そこまで密になっている宗教は他になくて、
日本は、いま基本的には「お金教」ですよね?
ぜんぶをお金で判断するような
今の感じに移行できたのには、
実はお金に対する伝統的なイメージが
すでに江戸時代から
下地にあったからだろうなあと思います。
江戸時代からお金を捨てていたとしたら、
今、こんなに、捨てることに対して
「背信的だなあ」とは感じないと思うから。
末永さんは、前に証券会社で
何億という単位のお金を扱っていて、
感覚がぶっとんじゃったりしないんですか? |
末永 |
だんだん、トレーニングされるんですよ。
会社に入った時には、大学生の金銭感覚ですから。 |
糸井 |
「牛丼は安い」という金銭感覚ですよね。 |
末永 |
まあ、大前提としては、会社のお金と
自分のお金は違うという感じがありますけど、
でも最初は、それもほとんど区別ないですね。
大学生だったやつが仕事をはじめて
会社にとってはすごく小さなお金だけど、
取引をしていると、はじめから、
100万ぐらいは簡単にふっとぶんです。
大学生にとっては、すごい大金ですから、
ぼくは最初に100万円を損した時、
打ちひしがれましたよーっ。
・・・その日いちにち、口がきけないくらい。
でも、だんだんそれに慣れてきます。
だんだん取引にうまくもなるし・・・でも、
気が大きくなっちゃあ、だめなんですよね。
やっぱり「損するのは怖い」という気持ちを
いつでも持っていないとだめで、
会社のお金だから損をしてもいい、
というのは、だめな態度なんです。 |
糸井 |
「俺は、バクチ打ちなんでぃ」
って言っちゃうことは、ないんですね? |
末永 |
ないと思います。損する人は
会社にとって、困りますから。 |
松本 |
そうやってお金を使う感じは、たぶん、
ぼくがテレビで頭をはたかれることと
似ているんじゃないかなあ・・・?
プライベートで叩かれると腹が立つけど、
でも、舞台の上ではたかれてるのは、
あれはぼくの頭じゃないんですよね。 |
末永 |
あ、そういう感じです。 |
糸井 |
ふだんまで平気になったら、おしまいで。
そしたら、それは、人間じゃないからね。 |
松本 |
(笑)そう。
頭をぱーんとやられて
痛さを感じなくなってはだめですよね。
でも、それを嫌がりすぎても、だめですし。 |
糸井 |
週刊誌に「毛ジラミ」と書かれて
うれしいと思う感性を持っている人間って、
たぶん、いないと思うんですよ。
「腹立つわ」っていうのが、ほんとうで。 |
松本 |
うん。 |
糸井 |
でも、「これ、おいしい」に
チェンジしてしゃべっちゃうと、
それは自分とは違う人のことになるからね。
「腹は立ちまくってるけど相手にしない」
という、ものすごい反応ができるんだよね。 |
松本 |
うん。このことを素人に説明するのは、
かなりむつかしいですよ。
ある種、多重人格ですから。 |
糸井 |
それ、むつかしいよなあ。
その感じを、お金の扱いだと思って考えると、
末永さんが扱っていたお金とおんなじなんだね。 |
末永 |
その通りだなと思います。 |
糸井 |
「あいたたた」という感じはあって、
でも、痛いっていったら試合ができなくて。 |
末永 |
でもその痛みを忘れたらダメで。 |
糸井 |
格闘技の選手もそうなんだけど、
どっかに相手の攻撃を入れさせて、
その次を狙ったりするじゃないですか。
あれって、純粋理性の行為ですよね。
人間はほっとけば逃げるようにできてるのに、
入れさせるように動いて次を狙うなんて、
あんな知性的な行為は実はないのに、
それなのに、格闘家たちって乱暴だと思われてる。
ぼくは、その理性がわかったとたんに
格闘技が、ぜんぶおもしろくなったの。
それも、おんなじだよね。
あ、そうだ。別の話だけど、
松っちゃんにすごいお笑いのネタがあっても、
でも、女の子をくどく時には、
そのネタって出せないんじゃない?
これも、不思議だよなあ。 |
松本 |
・・・それ「会社のお金」やからでしょうねえ。 |
糸井 |
ははははは(笑)。 |
末永 |
(笑)業務上横領になるんだ? |
糸井 |
(笑)そのひとことで、ぜんぶ解決するよね。
そーだよなあ。 |
末永 |
名言ですね。 |
糸井 |
俺も、確かに、ふだんうまいこと言えないもん。
番組でゲストで来た時って、困る時があります。
コピーライターは、気のきいたことを言って
稼いでいるんじゃない?と思われているから、
そっちを使いたいんだけど、それをやると、
俺が番組に出る意味が変わっちゃうと思うんです。
だから、ぼくにとっては、
そこの中間の浮島のようなところが、ダジャレで。
しょうがないから、ダジャレを言ってみて、
ああ、浮いてる浮いてるって思ったり・・・。
でも「ダジャレの人」になるような
和田勉な決意もないし、
その浮島を売りものにすると、
それもまた、会社の金になっちゃうんですよ。
だからね、松っちゃんに、
それを言わないでくれえという気持ちもあって。
そこがなあ。
・・・あ。
このへんの話、わかりにくいかもしれない。
読者でこれを分かる人がいたとしたら、
それはもう、何かになれる人でしょうね。 |
松本 |
いやあ、分からないでしょうねえ・・・。 |
糸井 |
分かる人も、いると思う。
若い時の自分だったら、わかると思う。
でも、その子はたぶん、将来どこかで、
「あの時に読んでいたぼくですよ」
というようなんだろうね〜。
やっぱ、「会社の金」って、
お金に直すとものすごくわかりやすいよ。
でも、そこをズルしてるのが
ミュージシャンだよね。
あの人たち、うたえるもんなあ。
「お前のために・・・」とか。
だから、うらやましいんだよね。
ミュージシャンは、ちょっと特殊ですね。
あれは、祭りの人だろうなあ。
(ご愛読いただき、ありがとうございました!)
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