池谷 |
「科学」というと孤高の人、
たとえば……
ニュートンとか
ダーウィンとか
アインシュタインなどの
イメージが、一般には強いみたいですが、
でも、こうした
「各個人で
真実と向きあえばいいじゃないか」
というのはたぶん古い科学の見方で、
膨大な資金や高度な技術を扱う
現代科学の研究は、ひとりだけで
遂行できるものではないですから。
真実というものがあって、
科学はそれに向かっているにも関わらず、
真実に対して立てる仮説というのは、
なぜか自然と
いくつも出てくるのもおもしろいです。
つい十年ぐらい前なら
そこでどちらが正しいのか
厳しく論争するのですが、
最近の研究者たちが
認知しはじめたことのひとつは
「科学的にも、真実は
ひとつではないのではないか」
というところでして。
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糸井 |
おもしろいなぁ。
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池谷 |
古い例ですが
「光は波でもあり粒でもある」
ということがあるわけです。
脳は特にそういうことが多いんです。
「キミたちはみんな正しい。
だけど表面的にはみんなまちまち」
みたいな真実というものがあるんです。
俯瞰して見ると
ぜんぶおなじことをいっていたんだと
認める「統合」という言葉を、
近年の動向として
研究者は好きなんですけれども、
いわゆる古典的な意味での
統一理論ではなくて、
いろんな立場を認めるみたいな動きが、
出てきていますね。
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糸井 |
真実は固定的に
ピンではとめられない
ということですよね。
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池谷 |
特に、脳は動いてなんぼの世界です。
自分を書きかえうるというのが
脳の特徴的な性質で、
人も可塑性でなりたっているという話を
『海馬』でしたおぼえがありましたけど、
その書きかえが進むと、
書きかわった時点からも
自分を書きかえつづけるわけですよね。
当然、環境も変わるから
その影響も受ける……。
単純線形な可塑性の法則が
なりたたなくなるというか、
絶対に同じ状態に戻らないほど
変化するわけです。
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糸井 |
その意味では、
それまで独身だった池谷さんが、
結婚とほぼ同時にアメリカに行った、
というのもおおきいでしょう。
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池谷 |
おおきいですね。
妻が科学とは無縁なことが、
ぼくにはすごくおおきかった。
研究なんて
いつも順風満帆とは
かぎらないわけですよね。
だからどうしても
壁に当たることがあります……
ぼくは家で仕事のグチはいわないし
脳の話もしないのですけど、
妻とふつうの話をするということが、
すごくよかったんです。
妻には感謝しています。
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糸井 |
仕事のことを家で話しすぎると、
なんだか自分の居る場所が
なくなるような気がしますから。
どこが「自分の生活」なのか
見えなくなっちゃう。
仕事は大事なものだけど、それでもね。
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池谷 |
はい。
『海馬』の読者には
「いいですね。
奥さんはいつも脳の話がきけて」
とおっしゃる方もいますが、
とんでもないです。
ふだんは音楽の話、絵の話、
料理など脳以外の話ばかりです。
避けているわけではないんですが、
無意識にしていないんですね。
たまに妻が脳について
誰かと話す現場にいあわせると、
「へえ、脳の話、できるんだねぇ」
と……それが本職なんですけど。
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糸井 |
しかも、
その「誰か」と奥さんでは、
「誰か」のほうが
熱心に脳の話を聞いていませんか?
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池谷 |
(笑)正解です……。
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糸井 |
(笑)うちもそう!
キリストみたいな人でさえ、
やっぱり故郷では
受けいれられないんですものね。
「市場の動向がどうのこうの」とか
食事中に奥さんに教えてる
ビジネスマンとか、ヘンだもんね。
そうなると、
何が大事なんだ?
という話にもなりますよね。
仕事仲間に重要な話としていうことを
家で伝える機会がないんだったら、
「大事」の局面が
変わってくるといいますか。
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